江戸初期の庭園




「江戸初期の庭園(1)」



江戸初期庭園の特色

この時代の庭園は、桃山期の豪華絢爛さを引き継いだ庭園が多数作られており、現在まで大体においてよく保存されている。かといって豪華さだけではなく、その反動として、茶の露地にみられる質素な庭園も確立された。このように従来からある池泉、枯山水庭園の他に、大刈り込みの庭園、そして露地という具合に、様々な形態の庭園が出揃い、見るものを飽きさせない。



大徳寺弧蓬庵庭園

孤蓬庵
玄関付近の延段





孤蓬庵布泉の手水鉢
山雲床布泉の手水鉢





孤蓬庵露結の手水鉢
忘筌露結の手水鉢






江戸初期の大茶人である小堀遠州の創建で、自ら晩年の地としたところである。遠州は、建築や庭園に才能を発揮し、幕府からの奉行を命ぜられて、各地の城郭建築や、その修理に当たり、また庭園奉行として各地に茶亭や、庭園を作った。中でも仙洞院御所、南禅寺金地院庭園(写真参照)、孤蓬庵庭園は有名である。この庭園は、忘筌と山雲床の二つの有名な茶席があり、露結と布泉の手水鉢は著名である。寛政五年に消失したが、遠州を崇拝していた松平不昧公二よって、古図をもとにして復元再興したのが、現在の姿である。前庭は、南部築山付近に枯滝石組が保存されており、非常に趣のあるたたずまいをみせている。




所在地京都市北区紫野大徳寺町
作庭年代江戸初期(慶安元年/1648年)
様式枯山水、露地
社寺名臨済宗大徳寺塔頭孤蓬庵

注意!! 孤蓬庵庭園は、普段は一般公開しておりません。京都冬の旅や春の旅などで、たまに特別公開することがありますが、期日は未定です。孤蓬庵関係者の方達にご迷惑をおかけしないように御願いいたします。

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