「大湯環状列石」



大湯環状列石について

これまでのところ、環状列石は、墳墓の跡ではないかという説が非常に有力になっている。本来ならば庭園の石組として考えること自体が邪道であるが、その形態などを見ていくと、縄文時代の人々の心に、既に亡くなった人たちを葬る際に、その墓標として石を使うということが、その死者に対しての尊敬や畏敬であり、またその時代においてもっとも堅い物質であることから、永遠にその形態が変化しないということが最大の理由であったと思われる。その意匠形態は、ここで紹介する秋田県大湯環状列石を例に取ってみると、1mから2mの石による遺構が環状に点在している。石には一切の加工は施されておらず、日時計のようにも見えるし、また意匠的に見ても素朴ながら、しかしこの時代においてのデザインとして考えてみると、石の配置や並べ方、立石の据え方などに、非凡なものがある。



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全景





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環状列石局部





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環状列石局部





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環状列石局部





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野中堂環状列石





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野中堂環状列石局部







所在地秋田県鹿角市十和田大湯字万座
作庭?年代縄文時代後期(約4000年前)
様 式環状列石
問い合わせ先鹿角市出土文化財管理センター(0186-37-3822)







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