上古、奈良、平安時代の庭園




「上古、奈良、平安時代の庭園」




上古、奈良、平安時代の庭園の特色

日本の庭の源流は、未だ正確なことが解っていないが、石を様々に組む(決して石を組むということを前提としていたのではない)ことは行われていたようである。これが磐座や磐境である。石を神格化し、石そのものを神として崇拝する場合に磐座があり、山肌などに露出している自然の岩などがその対象である。下記に紹介している石像寺の磐座はまさにそうであり、この山で磐座としてまつったところだけ岩が露出しており,この地に住む人達にとって、非常に神秘的なものとしてとらえることはごく当たり前のことであろう。、また石を神格化するとともに、その石を円形や楕円形に配置して、その中を神聖な地として神をまつるものを磐境と称している。兵庫県の保久良神社、岡山県の阿知神社などにある。またこのような石だけを神格化するのではなく、池の中に中島を作ってそこに神を奉ったりしたのもこのころの特徴である。これは池を遥かな海に例えるところからきている。三重県の伊奈富神社に、非常に貴重な遺構が残されている。
飛鳥,奈良,平安期にはいると、日本に仏教が正式に伝来し須弥山思想が入り、これよりもまえにはいっていた、中国道教の蓬莱思想も盛んになった。それらの宗教観や哲学観を庭園に表現したわけであるが、残念ながらこの時代の庭園はそのままの状態で現存しているものはない。しかし、近年奈良で発掘調査が進む度に、様々な庭園の遺構がでてきており、それらの庭を見てみると、文献に書かれたり古図に描かれているような、広大な池庭の中に中島が存在し、そして優美な曲線の流れなど、その当時流行した浄土式庭園の形態を持っている。平安時代の庭園も、その当時のままで残っているところはあまりないが、飛鳥奈良期に比べれば、若干ではあるが保存されており、その当時の様式と手法が参考になる。平安期の遺構としては、京都の渉成園、勧修寺、法金剛院、積翠園、岩手県の毛越寺などが有名である。ともかく、この時代の庭園というものは、遺構として現存しているものがほとんどであり、これからの発掘調査などによる新たなる発見を待つと同時に、現状の地割などを崩さないように努めていくことが必要である。




大湯環状列石

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環状列石局部




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所在地秋田県鹿角市十和田大湯字万座
作庭?年代縄文時代後期(約4000年前)
様 式環状列石
問い合わせ先鹿角市出土文化財管理センター(0186-37-3822)








石像寺磐座

石像寺磐座
磐座全体





この磐座は、現在の石像寺の本堂がある背後の山にあり、高さ約12mに近い巨石7個が群をなして立ち並んでいる。不思議なことに、この山には殆ど自然に露出しているような岩がなく、この磐座のみがこの場所に勃然として立っているわけであるから、その昔、この石を神格化したのもうなずける。




所在地兵庫県氷上郡市島町中竹田岩倉
社寺名曹洞宗円通寺末正法山石像寺
様 式磐座
作庭?年代上古
庭園名石像寺の石座









奈良市平城京左京三条二坊宮跡庭園

流れ
優美な曲線を描く流れ





同上
同上





奈良の平城京跡の発掘庭園で、奈良時代の庭園が完全な形で残っているものが殆どないために、このような遺構が発掘され、整備保存されたことは、非常に歓迎すべきことである。この時代の絵図などに残されている優美な曲線を持った庭園と全く同じような意匠である。それと同時に護岸の石組や岩島なども残っており、次の平安時代や鎌倉時代の庭に手法に影響を与えていく過程も見てとれる貴重な遺構である。



所在地奈良県奈良市三条大路1-5-37
作庭年代奈良時代(昭和50年/1975発掘)
様 式曲水園池の庭
庭園名平城京左京三条二坊宮跡庭園

平城京左京三条二坊跡庭園は一般公開されております








毛越寺庭園

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亀島石組




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所在地岩手県平泉町字大沢
社寺名医王山毛越寺(天台宗)
作庭年代平安時代
様 式池泉庭園
庭園名毛越寺庭園


*毛越寺庭園は一般公開しております。

お問い合わせ先:0191-46-2331(毛越寺事務所)







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