この庭園の敷地そのものは、もともと明治30年頃は寺院の敷地であったが、そのころ、鹿児島の伊集院兼常が、ここに草居を立てたのが始まりである。伊集院家の頃は、すでに下部に池泉が拵えられていたが、そのころにはまだ、現在のように池泉の中島や、滝組はなかったのである。その後、一時清水某氏がその後を譲り受け、さらに明治35年(1902)、初代市田弥一郎氏の所有となってから、現在に至っている。現存している建築や庭園は、二代市田弥一郎氏の時代、すなわち、明治40年に大改造を行ったものが残されているわけであるが、ただ茶席は、伊集院家時代からのものが残されており、そのため、茶席から北部のものは、そのほとんどが明治30年以前の作庭であったのを、明治40年以後、大改造を行ったのである。このように下部は比較的速く作庭され、さらにその後から聚遠亭庭園が作庭されたと見ていいであろう。作風は自然主義的なもので、借景を取り入れながら作庭されている。
所在地 | : | 京都市左京区南禅寺福地町 |
作庭年代 | : | 明治時代 |
様 式 | : | 池泉回遊式 |
所有者 | : | 市田家 |
注意!! 市田対流山荘庭園は、一般公開しておりません。関係者の方達にご迷惑をおかけしないように御願いいたします。