石組
日本庭園の重要な構成美の一つで
ある石組について
日本庭園の構成を見ていくと、樹木等と共に必ず石が据えてある。普通一般的に日本庭園を見るとき、必ずと言っていいほどその樹木の四季の移ろいに目を奪われてしまい、日本庭園にとって最大の構成美の一つである石組を見ることがおろそかになっているのが現状である。明治以降の自然風景主義的な庭園が体制を占め、そこから現在に至るまで、全くと言っていいほど進歩がないために注目の度合いが薄くなってしまったのである。しかし日本庭園が世界的にも注目をされるのは、古くから残る寺社の庭園にある、豪快でいながらにして、ある時にはとても繊細な石組が,世界にも類を見ない庭園であるだけではなく、その巧みな構成に引きつけられるからである。そこでもう一度原点に戻って、日本庭園の石組についての知識を深めていただきたいのがこのコーナーの趣旨である。石の据え方には色々方法があり,ただ単に石を転がしてあるわけではない。そのような石の据え方や庭園全体を作るということに対しての、いわば参考書のようなものの代表的なものとして「作庭記」がある。これは日本で現存している最古の庭園書であり(世界最古の庭園書でもある)平安時代に書かれた書で,色々な石の据え方が書かれており、古い時代の庭園は必ずと言っていいほどこの「作庭記」による作り方を踏襲している。特に古い時代の庭園の中における石は、一つ一つを見せるのと同時に、集団で石を組むことによって、その時代における最先端の宗教や、哲学、人間の理想論などを,普遍的な石によって抽象的に表現しようとしたのである。それは例えば、中国から伝えられた道教の思想で蓬莱島を表すような石を組んでみたり、人間の不老不死を願って庭園の中に亀島や、鶴島を表してみたり、また仏教思想から理想の世界としての須弥山を表してみたりといった具合である。しかも平安時代や鎌倉時代などの今から800〜1200年もの昔に,自然の素材を使いながら、今でも最先端をいくような抽象表現をしていたことを思うと、ただただ頭の下がる思いである。
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飛鳥・平安時代の石組
園城寺(飛鳥時代)
毛越寺(平安時代)
大覚寺大沢池(平安時代)
鎌倉時代の石組
西芳寺(鎌倉時代)
鹿苑寺(鎌倉時代)
深田氏邸(鎌倉時代)
室町時代の石組
万福寺(室町時代)
小川氏邸(室町時代)
竜源院(室町時代)
桃山時代の石組
円徳院(桃山時代)
三宝院(桃山時代)
江戸初期の石組
南禅寺金地院(江戸初期)
大隆寺(江戸初期)
江戸中末期の石組
相国寺開山堂(江戸中期)
尾崎氏邸(江戸中期)
滝谷寺(江戸中期)
天叔園(江戸末期)
妙心寺東海庵(江戸末期)
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