京都工芸繊維大学「庭園美学論」
松尾大社「瑞翔殿庭園」実習作業

昨年の「庭園美学論」松尾大社実習においては、皆さん方の熱意とひたむきな作業に対する姿勢など、本当にお世話になりましてありがとうございました。無事、楽しく怪我もなく作業が終了したことを、手伝ってくれた学生諸君皆さんに感謝致します。
実は作業当日、少し疲れ気味でボーッとしていたために、たいした話しもせずにすぐに作業に取りかかってしまいました。ですからこの庭園の改修方針の話などが全く欠けてしまったので、ここで説明する次第です。またこの写真をアップすることも、おもいっきり時間がかかってしまった(早い話がただサボってただけ(^^ゞ)こともお詫びする次第です。
m(__)m
この庭園は、瑞翔殿という建物が建った際に、どこぞの造園屋が適当に作っていたものがあまりにも酷かったために憂い、京都林泉協会(*)会長佐藤嘉一郎氏から提案があり、現在のような形で作り上げた庭園です。
基本的には七五三の石組で、保守管理のかからないようにということだったのですが、地被類では建物からの雨水によって100%ダメになることが判っていながら、最初の出来上がりのイメージがどうしても苔でいきたかったことから、敢えてウェッブサイトに掲載しているような姿で作り上げました。しかしながらやはり半年から一年で苔はほぼ全滅、しかも容赦ない屋根からの雨落によって苔の地山まで崩壊してしまい、その土が白川砂まで流出してしまい、あのような悲惨な情況になっていたのです。従って設計の時点で、すでに苔がダメになった場合を想定した改修イメージを作っておりました。ただし、もっと早い時点で改修する予定が、当方の都合(忙しさと怠慢と神社側との金額的な問題などetc(^^ゞ)によって延び延びになったために、当初の予想していた崩壊よりも、かなり激しいものになってしまいましたが…。
改修するに当たってのイメージとしては、雨落から形態崩れを防ぐために、深草三和土のようなものや、今回おこなった砂利敷き、またゴロタ石による洲浜的な形態などをイメージしていましたが、誰にでもできる改修方法とその後のメンテナンスフリーを考えた上で、今回のような改修工事にした次第です。ですから当初のイメージとは全く異なるもののように思えたかもしれませんが、私自身の設計理念としては、当初から持っていた案の中の一案を採用したわけですから、ほぼイメージ通りの形態になったと思っております。庭園の設計においては、やはり自然の生きた素材を使う関係上、特に苔のようなデリケートな地被類を使用する際は、その苔が活着しなかった時のことまで考えて設計に挑まなくてはなりません。この点は建築設計の考え方とは異なる事を覚えておくとよいでしょう。
このように、庭園の場合は自然の生き物との戦いですから、設計の段階でこのようなことを考えながら進めていかなくてはなりません。詳しく語っていくと、さらにその土地のphを調べて、植える樹種や地被類に至るまで最適な土壌に改良することから始めなくてはなりません。これ以外にも挙げていけばきりがありませんが、庭園設計をする際には、このような具体的な実践に至るまで把握しておかないと、ただ単なるデザインだけでは必ずといってよいほど不具合が出てきてしまうことも憶えておいて下さい。これらのことを解決するためには、やはり経験と感がものをいうのです。
長々と書きましたが、庭園美学論では、まず日本人として世界に誇れる固有の空間意匠を知ってもらうことを手始めとして授業を進めました。そしてその基本的な構成を、皆さん方は学んだわけですから、このことをイメージとしてもって、さらに森林の成り立ちや国内における樹木の分布、また陽樹・陰樹などの樹種構成、そして土壌改良などに至るまで、様々な外部空間構成に必要な基本的なことを、広く浅くで結構ですから学んで会得するようにして下さい。そうしたならば、きっとアスプルンドのような外部空間と調和の取れた、かといって欧米人にはない日本人独特の建築家になれるのではないでしょうか。どうか今後も、さらなる精進と飛躍を期待しております。頑張って下さい!!
最後に、本当に無心になって作業をしていただいた皆々様方に対して、再度御礼を申し上げます。

皆さん、ありがとう!!


工繊大「庭園美学論」実習_001





工繊大「庭園美学論」実習_002





工繊大「庭園美学論」実習_003



しかし、いかに僕がボオッーとしてたか、この写真を見るとよく判りますよね。しかもたった3枚しか写真取ってないんですから…。写真の横サイズは全てXGAでJpeg80%圧縮です。保存は右クリックからおこなって下さい。Windowsのディスプレイで色合わせなどをおこなっている関係上、Macではおかしな具合になるかもしれませんがあしからず…。


(*)京都林泉協会: 昭和6〜7年頃に、当時の関西圏における古美術(仏教美術)の本を出版し自らも研究していた中野楚渓氏を中心として、天沼俊一(古建築)、重森三玲(庭園)、川勝政太郎、佐々木利三(石造美術)、土居次義(絵画)など、当時その道の第一人者が寄り添ってできた綜合古美術研究会のこと。初代会長として重森三玲が就任、以後現在に至るまで70年を超える長きに渡って活動を続けている。現在は庭園を主とする会となり、戦前の発足当初から昭和60年あたりまでの充実ぶりが伺えないのは残念である。