「私の作品」



ここでは、私自身の設計による作品の中から、自身のお気に入りの作品を紹介をしたいと思う。様々な庭の設計をこなしてきた中で、最初に紹介するY邸などは、未熟さが出ている拙いものであるが、私が設計をした中で、もっとも庭園としての敷地が狭いものである。Web上で発表してからは、特に若い方々に好評である。松尾大社の瑞翔殿庭園に関しては、最近、私が設計したものの中でも自信作である。また他の二作についても、石組主体の庭園とした。これは管理が大変楽であると同時に、これらの庭の中に様々に組まれた石を一見したとき、、瞬間的に皆様方の感性によって、あらゆる思いを喚起、促すことが出きれば、これらの作品が私にとって成功したのではないかと思っている。それは、石組とは日本の芸術分野の中でも一級のアートであり、絵画、彫刻、モニュメント、インテリア、タイポグラフィーなど、多種にわたるアートデザイン関係の作品と同一の目で接していただきたいと思っている。それでは、じっくり見て批評していただければと切に願う次第である。
(批評、感想等はそれぞれこちらへ "Your Impressionn" "GuestBook")




東京Y氏邸


33坪の敷地面積の中に作られた壺庭である。この壺庭の面積は2.4坪という狭いスペースであるが、施主の意向によって見て楽しみ、また露地的な使い方もできるものを、という要望を取り入れながら自由に設計させていただいた。狭い敷地内での設計であったために、各材料を吟味して鑑賞するものの視点を全体に向けさせることによって、狭い敷地内での視点集中を拡散させることに努めた。また、使っても愉しい庭園とするために、蹲踞に水琴窟を拵え、視覚からだけではなく聴覚からの楽しみも付け加えた。実にすばらしい音色を今でも奏でている。玄関アプローチも、建物との兼ね合いから狭いスペースしかとれず、視点の一極集中を避けるために、一二三石を散らし、園路をずらすことによって、変化を付けることに留意している。






yano8.jpg

僅か2坪の壺庭。
設計次第によっては、このような空間になる。



「東京Y氏邸」についての他の写真はこちらをクリックして下さい。







設計・監理重森 千青
施工(株)重森完途庭園研究所、京都植司
敷地面積110.71u(33.54坪)
壺庭面積8.04u(2.43坪)





松尾大社  瑞翔殿庭園


松尾大社には、私の祖父である重森三玲の絶作となった、磐座の庭曲水の庭があり、また私の父が作り上げた蓬莱の庭もある。そのような環境の中で、今回、私に設計をさせていただいて作庭したものが、この瑞翔殿庭園である。ここに三代にわたっての作品が揃ったわけであるが、他の三庭に比べると、まだまだ勉強不足ためか、気になる点が多々あるが、三玲、完途の作庭した庭園と同時に鑑賞していただけるだけでも、この場所を快く提供していただき、またデザイン面に関しても、一切の注文をお付けにならなかった松尾大社の佐古宮司、生嶌権宮司に感謝すると同時に、私自身大変に恵まれた環境で作庭させていただいたことを、心より感謝する次第である。
この庭園の構成やデザイン面に関しての背景であるが、この場所が蓬莱の庭に面しているために、まずは違和感のないデザインとすること、維持管理が楽なことの二点に注意しながら設計した。全体の石組構成は七五三で組んでいる。手前から七石、三石、そして一番奥の五石という構成で、これも蓬莱思想を念頭として石組みしたのである。しかしながら、この庭のもう一つの思想的物語の背景として、三代の庭がここに揃ったということも念頭に入れて設計している。つまり、まず白川砂が三段になっているが、これは先代、先々代に一歩づつ近づいていくために、乗り越えていかなければならない人生の流れを表し、それらを乗り越えていくための手段として、一番手前の細長い伏せた石をいかだに見立て、私自身がこれに乗って、これから全ての山の頂点を目指して旅立つというものである。そしてそれぞれの段の流れの背景にある山に、険しい孤高の頂を表す山として、それぞれの石組がある。その石組の頂点が、私にとっての師でもある祖父や父であり、一つの山を征服しても、また次なる山を目指して流れを一段上り、次の山の頂点を目指していくという、私自身がこれから幾度も遭遇するであろう、庭園に対しての険しい道のりをこの空間に表現したつもりである。





m_z_9.jpg
瑞翔殿庭園全景



「松尾大社 瑞翔殿庭園」についての他の写真はこちらをクリックして下さい。







設計・監理重森 千青
施工(有)重森庭園設計研究室、京都植司
作庭面積34.705u(10.51坪)





重森三玲記念館庭園

庭園名「三玲」


1999年1月23日、岡山県上房郡賀陽町吉川(重森三玲生誕の地)に、重森三玲記念館が竣工した。以前は道路状況も悪く不便な地であったが、現在吉備高原都市の開発から、空港、道路などの整備が進み、現在では岡山空港から車で約20分、高速道路「岡山自動車道」賀陽インターチェンジから約10分という、非常に恵まれた立地条件の中に建設されている。こじんまりとした記念館であるが、現在のところ収蔵品は、著書、三玲直筆の手紙、書、絵、絵付け皿など多岐にわたり、庭園史研究および作庭だけにとどまらず、非常に幅広い趣味を持っていたことがわかる展示内容となっている。全国から展示品の寄贈があり、賀陽町でも固定した展示だけではなく、季節事にテーマを作って展示するなどの計画がされている。 その記念館に付随する形で作庭したのがこの庭園である。17坪の敷地に平庭の枯山水様式で設計した。
意匠面において考慮したことは、庭園管理を町で行うために、維持管理の手間がかからないものであること、しかも三玲がこよなく好んだ石組を主体とした作庭をすること、また白川砂の砂紋による表情の変化も念頭に置いて設計した。
この庭園の主たる材料となる石組における石は、偶然にも私共の父(重森完途)が昭和40年代に東京都田無市に作庭した、山口義男氏邸庭園の石を使用している。三玲記念館庭園作庭の話がでた時点で、偶然にも山口氏から、事業拡大につき庭石の一時撤去をして欲しいとの依頼を受けた。その時、山口氏からしばらく作庭の予定はないということをお聞きし、急遽記念館庭園の作庭において庭石をさがしているという話をしたところ、山口氏曰く「しばらくの間石を眠らせておくぐらいならば、三代にわたる庭園の一端を担えれば、こんなに嬉しいことはないし、また完途先生も喜ばれるであろう」という、当方にとって願ってもない申し出を承り、ここに材料の選定も決まった次第である。
この庭園のテーマは、漢字の三玲を石組として表現した。枯山水の様式を使いながらも山水の表現は全くないもので、まさに三玲が意図していたところの、石組における一つのテーマを抽象表現したものである。
昭和を代表する作庭家であり、庭園史研究家であった三玲の残した足跡を、記念館を訪れたことによって、その業績を再認識していただければと言う願い、それがまた多方面にわたって広がっていって欲しいという意味合いも込めて、石組配置を末広がりの八の字の意匠形態とした。 石組の意匠形態については、従来からの基本的な石組形態として「三」の部分の三石による石組(三尊石組)だけであり、「玲」の字の偏、つくりの部分は敢えて四石、六石による偶数の石組を試みてみた。
今回の作品は、私の石組に対しての新しい試みを幾つか取り入れてみたが、まだまだ従来の石組手法から脱してはいない。 しかしながら、更なる抽象手法の石組に向かっての過渡期となる作品として、私自身位置づけている。
竹垣も私自身のオリジナルの意匠で、これも八方に広がるという意味を持たせたと同時に、背後の吉川八幡の八の字にもかけた意匠形態とした。
この庭園が、末永くこの地にとどまり、親しまれることを願っている。





三玲記念館庭園全景
重森三玲記念館庭園全景



「重森三玲記念館庭園」についての他の写真はこちらをクリックして下さい。







設計・監理重森 千青
施工(有)重森庭園設計研究室、千葉弥右エ門
作庭面積56.25u(17.045坪)





和歌山県 「長保寺"寂光の庭"」

庭園名「寂光の庭」


長保寺は長保2年(1000)一条天皇の勅願により年号を賜って寺号とし創建され、江戸時代に紀州徳川家の菩提寺となった由緒ある寺院である。敷地面積は約15.000坪ほどあり、その中に国宝建築が3棟、重要文化財が一棟、他県指定の文化財など多数の古建築が、その美しい姿を見せてくれる。特に三棟ある国宝建築は、鎌倉時代の本堂、多宝塔、室町時代の大門と、この三棟の建物を見るだけでも圧巻である。そんな歴史の詰まったこの山内に、この度作庭することが出来たのは、望外の喜びで一杯である。またその場所も、紀州徳川家の御霊が祀ってある、御霊屋の玄関前であり、気を引き締めて作庭にあたったことはいうまでもない。庭園名の「寂光の庭」の由来は、庭の周囲が稟とした静謐さを湛えているところから、このお寺の御住職、瑞樹正哲氏に命名していただいた。全体の構成は、御霊屋が江戸期の建物である関係から、江戸初期の石組形式を基本としながらも、私自身のオリジナリティーも加味して、七五三の石組を主体として組んでみた。本来七五三は、古来から奇数を陽の数として瑞と定めたことから、その中の三つを取って七五三としたのである。従って祝儀に用いる数であるが、別に注連(しめ)ともいわれている。つまり注連、それは場所を限るために、木を立てまたは縄張りなどをして標しをするもの、あるいは限りを立てて出入りを禁制することなどの意味があり、この場所が御霊を祀った建物の前庭であり、神聖な場所であるということから、一般的に庭に立ち入ることは勿論のこと、神聖な御霊を祀った建物に入る際も気を引き締めていただければという思いも兼ねて、七五三の石組としたのである。意匠的には御霊屋の玄関から延びる延べ段があるために、その左右にそれぞれの石組を施した。玄関に向かって左側に七石、右側に五、三石の石組を施した。玄関前であるために、何かの行事等がある場合にも、この庭を広場として活用できるために、手前側の三石の石組は低く、地に這うような石ばかりで構成した。しかしながらこれが背後の五石の石組に対して、静と動の関係がハッキリとしたものとなり、石組全体にが活気のあるものとなり、私の意図したとおりになった。左側の七石の石組も、敢えて七石で組んだように見せないことに留意している。これらの石は全て山内にあったものであり、殆どが山の中やお墓の近くの山手にあったものだが、さすがに紀州産の青石、色、風合い、形と共に、庭石として使用するには申し分のないものばかりであったことも、この作品の格がワンランク上がったような気がしている。
さて、今回このような素晴らしいお寺に、作庭を依頼してきた御住職の瑞樹正哲氏は、自らもパソコンを駆使して、天台宗のお経のCD-ROM制作に携わったり、また素晴らしいホームページを作り上げられている。下記の”長保寺のホームページへ”をクリックして、このお寺のすばらしさを堪能していただきたい。





寂光の庭
長保寺"寂光の庭"



「長保寺"寂光の庭"」についての他の写真はこちらをクリックして下さい。


長保寺のホームページはこちらをどうぞ。







設計・監理重森 千青
施工(有)重森庭園設計研究室、京都植司 皆川 司
作庭面積59.88u(18.14坪)







表紙へ