夢のコントロールについて(序説)                  

     夢って、ほんとに興味がつきません。
     すべての答えは、自分のなかにすでに用意されているのですね。
     いま目の前に起こっている事は、もうすでに過去。眼に見えないちからは
     たしかに存在しています。
     わたしも夢と現実がなんとなくシンクロしてるような気がします。
     というか、日頃眼にするもの、あるいはできないものの山になった自分の
     無意識の中から夢も、現実(というか現象)もおこっているのではないか
     ・・と。もとはどちらも同じなのではないでしょうか。

                    夢のらくがき帳(掲示板コーナーから)

まず、夢の種類について改めてお話しします。
夢は朝に見るものだけではありません。白昼夢、幻視、幻覚、霊視、それと、これか
らお話する夢のコントロールのように変性意識で見る夢、瞑想によって見る夢、つま
り意識して見る夢などです。これらの夢はもちろん空想癖がある人や体質的なもの
(ハイな状態や霊感体質)、瞑想などの自律訓練をしている人はよく経験しているも
のです。ただ、テレパシックなもの、霊的なものや瞑想を夢の領域と見るかは別の問
題です。夢を見ている状態を意識的につくれることは動かしようのない事実です。

夢として認識できる範囲では、夢中夢、霊夢、予知夢、正夢、デジャブ、過去夢、音
や声だけの夢、感触や匂いだけの夢、身体離脱や未知の存在、もちろん病気や生理的
な要因、脳障害や精神病で引き起こされる夢もあります。学習や肉体的な疲れ、寝室
の状態、その他雑多な要因で見る夢など、まだまだ数え切れないほどあります。
さて、この掲示板からいただいた意見は、とても含蓄のある言葉です。
夢と現実、少し抽象的なので分かりやすくお話ししていくことにします。つまり、目
に見える世界だけがけっして主役ではないこと、その事実です。

私が小学6年生のころにたびたび体験したことがあります。
夢の中で、家を出てずっと歩いていくのです。寝間着のまま、裸足で外を歩きます。
夜に近所を一回りし、さらに山のほうに歩いていくのです。
風景の中には誰もいません。
そんな夢をたびたび見ていたある日の朝、布団の感触にびっくりしました。
足元がざらざらしているのです。なんだろうと思って、布団を見るとそれは細かい砂
粒でした。足の裏はなぜか汚れていました。
今でもよくわかりません。なぜなら、その朝だけ砂が上がっていたからです。
それ以来、その夢を見ることはなくなりました。

私が予知的な夢を見るようになって気がついたことがありました。
現実に起こる事象はすべて「どこかですでに起こっていることではないだろうか」と
いうことです。夢日記をつけ始めて、改めてその認識を深めるようになりました。
自分の未来のみならず、身の周りや社会現象など、すべてです。もちろん本人の関心
の及ぶ範囲です。そのため新聞の3面記事やニュースを読まなくなった時期がありま
した。関心があるとすぐに夢を見るからです。とても怖くなりました。
同じような経験をされている人はいます。個人差はありますが、それは夢主の感受性
によるので、長年夢日記をつけていてもそういった夢をあまり見ない人もいます。
私はある時期、試しに枕元に新聞を置き、ある未解決の事件がどうなるか、それに関
する夢を見ることにしました。その事件の結末は悲惨でした。
それ以来、この好奇心だけの実験は止めました。若気のいたりで許してほしいと願い
ましたが、しばらくの間、その夢で苦しめられることになりました。
私は10年以上の時間をかけて、ようやく精神の安定を得ることができました。それは
多くの犠牲を払った時間でもありました。
同じような経験をされているかたのためにも、その苦しみから解放されるためにも、
私の夢コントロールと、それにまつわる事実を少しづつ公開しようと思っています。

私が経験したことから、夢には2つの入り口のようなものがあるのです。
一つは雑多な夢に代表されるように、肉体や脳、それから問題解決や日常の情報処理
のために入っていくところ、もう一つは未知の領域の入り口です。
この二つのコースは実はどこかでつながっていて、そのなかでも行き来ができます。
ただ、どこをどうやって行ったらいいのか、そこに行った人しかわかりません。
いろいろメールをいただいているうち、覚えているかは別にして、かなり多くの人が
そこを訪れていることに気がつきました。(すべての人、もちろん動物も)
私の夢のコントロールというのは、この二つの入り口(門といったほうがいいかもし
れない)を認識することから始まります。
そうしないと、技術的なことや理論的なことにばかり関心が及び、精神的なことには
敬意を払わなくなっていくからです。
それから欲のために、意識的に夢をみないことです。特にいい夢を見ようと意識すれ
ばするほど、望むような夢を見ることはかえって難しくなっていきます。
夢は自然の恵みです。
科学や心理学がどんなに発達しても、けっして及びもつかない心の世界です。