THE ENCYCLOPEDIA TSUKUBANICA

ナ〜ノ

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/中川三郎/

/839/なかがわさぶろう/Nakagawa,Saburo/人名/

/つくば市議会議員。1923年9月生まれ。旧大穂町出身。農家の5代目、議員生活9期38年。32歳で旧大穂町議に初当選。/1993.11.26常陽/931226/アルタキ/94- 1-25/

/中台遺跡/

/840/なかだいいせき/

/つくば市北条古城にあり、国史跡の「平沢官衙」に隣接する先土器時代から江戸時代までの複合遺跡。県住宅供給公社の住宅団地予定地内にあるため、県教育財団が1991,1992両年度で記録保存のための調査をしたところ、茨城県で一級の遺跡であることがわかり、1992.2.26に遺跡の一部、22,000u分の中間報告が行われた。前方後円墳2基を含む36基の古墳群(大半は円墳で最終的には50基程度)は県内最大規模。また、宮城県に次いで2例目の6,500〜7,000年前の人面付き土器片や石室からの金銅製2点を含む県内初出土の馬鈴3点の出土などは全国的にも注目される。さらに162軒分の住居跡、飾太刀、鞍金具なども出土している。/1992.2.27朝日、読売/94- 1-25/

/中西育種農場/

/841/なかにしいくしゅのうじょう/Nakanishi Seed Farm/

/農業の重要さと安全な食べ物を考えてがんばる農民集団のこと。鬼のげんこつ漬け(旧名ザーサイのたまり漬け)が代表商品。おもな業務内容は種子の研究と野菜の生産・加工・販売である。特に中国のザーサイを8年がかりで品種改良し、つくばの気候に適するようにしたことは有名。「鬼のげんこつ漬け」は、1989年10月に発表した新型ザーサイを使って製造し、1990年6月に発売したものである。経営者は農家の3男坊で、貿易会社に9年勤めたあと農業を始めた脱サラ農民。1955年生まれ。自称大酒飲み、ややエッチ、根はまじめ。所在地、TEL: M:/94- 1-25/

/永国団地/

/842/ながくにだんち/

/茨城県住宅供給公社が土浦市永国と天川1丁目にまたがる区域で計画している宅地開発の名称。対象面積は13.2haで計画戸数240戸。1991年度から造成工事に入っており、1993年度に造成完了、1993、94年度に住宅の建設と分譲を行う。質の高い住宅地を形成するため、ブロック塀の禁止などを盛り込んだ地区計画が1992.7or8に決定される予定。つくばの研究者が住むような町を目指しているため、学者村と自称している。/1992.7.3常陽、茨城/94- 1-25/

/長ぐつと星空/

/843/ながぐつとほしぞら/Nagagutu to Hoshizora: Longboots and Starlights/

/1981年11月20日に筑波研究学園都市の生活を記録する会(代表:島美佐子)によって出版された本。1972年1月に第一次入居が行われた筑波研究学園都市の歩みが生活者の側面から生き生きと描かれている。タイトルの長靴は、当時道路が整備中で、どこへ行くにも建設中の現場を通るため、長靴が必需品だったこと、そして星空は、筑波研究学園都市へ越してきて、星空が東京の空と比べてとても美しかったことによっている。発行所は筑波書林。1985年9月30日には続編が出版された。/94- 1-25/→続・長ぐつと星空/

/生ごみを大地にかえす会/

/844/なまごみをだいちにかえすかい/

/代表・日比野光子。生ごみたい肥化処理施設の建設などを求めて活動している市民団体。1991.7.24に倉田つくば市長あてに公開質問状を提出した。また、1991.9.5にはつくば市議会あてに市民との共同作業によるごみ処理基本計画の策定を求める誓願書を提出した。/1991.7.25読売、1991.9.6朝日・常陽/94- 1-25/

/並木/

/845/なみき/Namiki/

/竹園地区に続いて開発された地区の新町名。開発前の小字名を使っている。かなりの部分を公務員住宅が占めている。/94- 1-25/

/並木大橋/

/846/なみきおおはし/Namiki Ohashi-Bridge/

/東大通りに架かるペデ橋。並木地区と梅園地区を結んでいる。延長80.9m。ヨットの帆をモチーフにデザインされた斜張橋である。常磐自動車道土浦・桜ICからアクセスすると、緑の都市ゲートの次のランドマークとなっている。かつてはこの橋しか目印がなかったが、現在は並木高校も並木地区のランドマークになっている。/M:S3E3/94- 1-25/

/並木ショッピングセンター/

/847/なみきショッピングセンター/Namiki Shopping Center/

/住区ショッピングセンターの一つで並木住区にある、近隣型ショッピングセンター。スーパーマーケットの他、物販、飲食施設の他、公益施設があり、他の住区ショッピングセンターと同じく、第三セクターの筑波新都市開発鰍ェ運営している。/つくば市並木2丁目/TEL:51-0429/M:S3E3/94- 1-25/

/並木中学校/

/848/なみきちゅうがっこう/

/1979年に開校した、つくば市随一の名門中学校。付近には並木高校、並木大橋があり、美しい公園と閑静な住宅地に囲まれ、恵まれた環境にある。何事にも生徒の自主性、個性を尊重し、「明るく、自由な校風」をモットーとしている。体育祭のマスゲーム、文化祭での学級歌発表は見事。つくば市並木3-8、TEL:51-7100/1991.9.3貴伝名真一/94- 1-25/

/南大門/

/849/なんだいもん/Nan-daimon/

/筑波大学体育芸術学群棟の愛称。/94- 1-25/→体芸棟/

/二学/

/850/にがく/Nigaku/

/94- 1-25/→第二学群/

/ニコン筑波研究所/

/851/にこんつくばけんきゅうじょ/研究所/

/1993.4.1からつくば市東光台で業務を開始したニコン(本社・東京)の研究所。筑波研究コンソーシアムのパイロット棟に開設するもので、コンソーシアムの研究機構の有力なメンバーとなる。筑波研究所は当面16人規模でスタートする。将来は光よりも波長の短い軟エックス線光学領域や先端レーザー利用などの基礎技術などの開発などを行うという。/1993.4.1毎日/930511/アルタキ/94- 1-25/

/西大通り/

/852/にしおおどおり/Nishi Odori Avenue/

/筑波研究学園都市の幹線道路の一つ。牛久市中根からつくば市大曽根(大穂地区)に到る南北に長い都市計画道路。つくば市稲荷前と牛久市中根との間は、科学万博の際に会場と国鉄(当時)の臨時駅を結ぶ道路として新たに延伸された。沿線には国立公害研究所、気象研究所、筑波大学附属病院、土木研究所、等がある。並木に使われている樹種は、ユリノキ、ケヤキ、シラカシが中心となっている。/M:N1W1/94- 1-25/

/虹の会/

/853/にじのかい/Niji no Kai/

/筑波研究学園都市に在住する留学生等の外国人のお世話と交流を図るために設立されたサークル。筑波研究学園都市に国際交流の輪を広げるボランティア組織である。筑波研究学園都市の生活情報を集めたリーフレット(英語版・日本語版)も発行している。/94- 1-25/

/虹の会/

/854/にじのかい/

/Niji No Kai, The Rainbow Club、筑波研究学園都市に在住する留学生等の外国人のお世話と交流を図るために設立されたサークル。筑波研究学園都市に国際交流の輪を広げるボランティア組織である。会員数50名。活動は、日本語指導とその勉強会、留学生のためのバザー開催、筑波研究学園都市の生活情報を集めた「つくばシティーガイド」(英語版・日本語版)の発行、交流パーティーなど。/1992.1.19返信/94- 1-25/

/二の宮公園/

/855/にのみやこうえん/Ninomiya Park/

/「時計台のある公園」として親しまれている公園。面積は4.04ha。1978年開園。この時計台は高さ30mの三角屋根を持った個性的な形をしており、月毎に変わる時報のチャイムは懐かしい童謡を奏でてくれる。公園全体は、現況地形を活かした計画となっており、プール、テニスコート(6面)、野球場、広場がある。春には桜、初夏には見事な藤棚が利用者を楽しませてくれる。開園当初に、当時の皇太子殿下、美智子妃殿下(現、天皇皇后両陛下)もこの公園を訪れ、「皇室テニス」を披露。皇太子殿下はCコート、美智子妃殿下はDコート、浩宮様はBコートで住民と1時間ほどテニスを楽しまれた。ここでテニスをすれば、つくばにいながら、あなたは軽井沢夫人(の令嬢)に浸れることうけあい。利用料は1面2時間500円(市営共通)。/つくば市二の宮1ー15/TEL:51-4439/M:S2E1/94- 1-25/

/二の宮幼稚園(補)/

/856/にのみやようちえん/施設/

/1993.7.9の夕方に園児達の手づくりの夏祭りが行われ、200人の園児のほか、家族ら300人余りも詰めかけた。園庭には園児がつくった大きなみこし二基を囲んで、空き瓶を使ったボウリング遊びなど、手づくりのゲームコーナーが並び、親も盆踊りなどを楽しんだ。/1993.7.10/930717/アルタキ/94- 1-25/

/日本宇宙少年団/

/857/にほんうちゅうしょうねんだん/Young Astronaut Club???/

/略称YAC。つくばエキスポセンターに事務局がある。/つくば市吾妻2ー9/TEL:51-8290/94- 1-25/→つくばエキスポセンター/

/日本グラクソ筑波研究所/

/858/にほんぐらくそつくばけんきゅうじょ/

/1991.9.26に筑波北部工業団地で完工式を行った外資系医薬品製造メーカーの研究所。筑波研究所には開発品の承認許可申請に必要なデータ作成のための前臨床試験研究を行う開発研究センターと国内で新薬の探索を行う態勢づくりのための創薬研究センターを設置。新薬は炎症、免疫、がんをテーマにした研究をする。約33,000uのの敷地に研究棟(4階建て、延べ床面積約12,000u)、動物棟(4階建て、同4,600u)、ラジオアイソトープ棟(2階建て、同1,700u)、管理棟、エネルギー棟等6つの建物があり、延べ床総面積は約27,000u。総工費は約200億円。当初は100人体制でスタートし、将来は250人に拡大。世界のグラクソの研究開発の中枢として充実させていく。同社は世界第2位の売上高を誇る製薬のグラクソのアジア拠点。/1991.9.27常陽、9.29朝日/94- 1-25/

/(補)日本グラクソ筑波研究所/

/859/にほんぐらくそつくばけんきゅうじょ/

/面積について:研究棟(4階建て、延べ床面積約12,088u)、動物棟(4階建て、同4,607u)、ラジオアイソトープ棟(地下1階地上2階建て、同1,655u)、エネルギーセンター(地下1階地上2階建て、同2,159u)、管理棟(地上4階建て、同5,973u)等がある。/1991.10.22産経/94- 1-25/

/にほんごおしゃべりたいむ/

/860/にほんごおしゃべりたいむ/イベント/

/つくばインフォメーションセンター内にあるつくば国際交流サロンで開かれるイベントで、外国人と日本語で会話を楽しみ交流を深める企画。毎月第4土曜日の午後に開かれる。第1回目(1993.6?)では11カ国14人の外国人と6人の日本人が参加した。/1993.7.5常陽/930717/アルタキ/94- 1-25/

/日本酸素つくば研究所/

/861/にほんさんそつくばけんきゅうじょ/

/1992.7.2につくばテクノパーク大穂に開設された研究所。同社の80周年記念事業の一環で川崎、山梨に次ぐ3番目の研究所である。敷地面積約38,000u、建物の延床面積は約7、900u、地上3階、地下1階建てで、当初職員約50人でスタートする。総工費は約40億円。所内には分析技術、応用化学、真空・半導体技術の3研究室を設ける。/1992.7.3日経/94- 1-25/

/日本自動車研究所/

/862/にほんじどうしゃけんきゅうじょ(補)/

/1991.?.5にプロライダーの工藤靖幸(33才)がここの公認コースでオートバイのウィリー走行距離の世界記録を達成した。220ccのオートバイを操ること6時間38分、走行距離331km。それまでのギネス記録233kmを約100kmも更新した。/94- 1-25/

/日本セミコンダクター第二工場/

/863/にほんせみこんだくたーだいにこうじょう/企業/

/1990年に設立された川崎製鉄と米LSIロジック社の半導体製造合弁会社、日本セミコンダクターの第二工場。つくば市にある。1993.7.1から稼働を開始した。生産能力は月2万枚(6インチウェハー換算)。/1993.7.5時事速報/930807/アルタキ/94- 1-25/

/日本ハム/

/864/にほんはむ/

/つくばテクノパーク豊里に中央研究所を建設し、1991.10.16に落成式を実施した。加古川市にあった研究所を移転したもので、新しい食品素材の開発や食品加工技術の開発に取り組む。50人体制でスタートする。延べ床面積4,300u。総工費は45億円。/1991.10.16日経/94- 1-25/

/沼尻民平/

/865/ぬまじりたみへい??/人名/

/元谷田部町長。公共事業にからむ汚職事件で逮捕され、1993.4の最高裁で懲役2年6月の実刑判決が確定した。/1993.6.23朝日/930717/アルタキ/94- 1-25/

/沼尻民平/

/865/ぬまじりたみへい??/人名/

/元谷田部町長。公共事業にからむ汚職事件で逮捕され、1993.4の最高裁で懲役2年6月の実刑判決が確定した。/1993.6.23朝日/930717/アルタキ/94- 1-25/

/ねずみとり/

/866/ねずみとり/Rat Trap/

/筑波研究学園都市は道路が広い、車が少ない。従って、思わずアクセルを踏んでしまう。違反した車を引き寄せる適切なスペースを有し、さほど遠くからは見つからない場所で隠れて行っている。有名な地点としては、並木、牛久学園線などがある。(情報募集中)/94- 1-25/

/熱帯農業研究センター/

/867/ねったいのうぎょうけんきゅうせんたー/Tropical AgricultureResearch Center/

/農林水産省管轄の29の試験研究機関の1つ。うち13の試験研究機関が筑波研究学園都市にある。1970年に設立、1977年6月に移転。当研究所以外の研究機関が主として国内の農林水産業に関する試験研究を行っているのに対し、ここでは熱帯・亜熱帯での海外技術研究を行っている。研究員が東南アジア、南アジア、インド、アフリカ等に長期駐在している。/つくば市大わし1-2/TEL:38-6313/M:S3W3/94- 1-25/

/年令構成/

/868/ねんれいこうせい/Age Pyramid/

/筑波研究学園都市の年令構成には、幾つかの特徴がある。なかでも、研究学園地区と周辺開発地区との違いが大きい。周辺開発地区では大家族で高齢者が多いのに対し、研究学園地区では、20代の独身男性(学生)と30代の既婚女性がおおい。すなわち、小家族や単身者が多い訳で、研究学園地区がベビーブームを迎えていることが理解できよう。/94- 1-25/

/NOA設計事務所/

/869/のあせっけいじむしょ/NOA Architectural Design Office/

/筑波研究学園都市にある建築設計事務所の老舗。並木の奥にあるかわいい建物がオフィスである。社長の内藤彰はつくばと縁のある人で、本社は東京にあるが、仕事はつくばと半々。主な仕事としては桜支所新館、第1・第2・第3圏民センター、並木高校などがある。/つくば市並木3-3-3/TEL:51-4151/M:S2E3/94- 1-25/

/農業環境技術研究所/

/870/のうぎょうかんきょうぎじゅつけんきゅうじょ/National Institute of Agro-enviromental Science/

/農林水産省所轄の国立試験研究機関。農地の砂漠化、CO2濃度の上昇、オゾン層の破壊など農業生態系に及ぼす悪影響に対応するため、農業の持つ公益的機能を積極的に利用して、農業環境の保全を図るために1983年12月1日にここ筑波研究学園都市に設立された。/つくば市観音台3-1-1/TEL:38-8145/M:S6W1/94- 1-25/

/農業研究センター/

/871/のうぎょうけんきゅうセンター/National Agriculture Research Center/

/農林水産省所轄の国立試験研究機関。1981年12月、農事試験場を核として、農業関係試験研究機関の農業部門を再編し筑波研究学園都市に新発足した。文字通り農業の研究の中心である。/つくば市観音台3-1-1/TEL:38-8481/M:S6W2/94- 1-25/

/農業工学研究所/

/872/のうぎょうこうがくけんきゅうじょ/National Research Institute of Agricultural Engineering/

/農林水産省所轄の国立試験研究機関。1977年に平塚市から筑波研究学園都市に移転してきた。1988年に農業土木試験場から、現在の名称に改組された。ここでは農村地域の総合的環境整備計画手法の開発や水利設計、農業土木施設の技術開発を行っている。/つくば市観音台2-1-2/TEL:38-7513/M:S6W2/94- 1-25/

/農業生物資源研究所(改)/

/873/のうぎょうせいぶつしげんけんきゅうしょ(改)/

/National Institute of Agrobiological Resources、農林水産省所轄の国立試験研究機関。1983年12月1日農業環境技術研究所とともに筑波研究学園都市に設立。植物の遺伝・生理機能の解明と利用、DNA組換えなどのバイオテクノロジーを用いた新育種法の創出に関する研究を行っている。つくば市観音台2-1-2、TEL:38-7406 M:S6W2/1992.1.9返信/94- 1-25/

/農業生物資源研究所/

/874/のうぎょうせいぶつしげんけんきゅうじょ/National Institute of Agrobiological Resources/

/農林水産省所轄の国立試験研究機関。1983年12月1日農業環境技術研究所とともに筑波研究学園都市に設立。植物の遺伝・生理機能の解明と利用、DNA組替えなどのバイオテクノロジーを用いた新育種法の創出に関する研究を行っている。/つくば市観音台3-1-1/TEL:38-7406/M:S6W2/94- 1-25/

/農業土木試験場(改)/

/875/のうぎょうどぼくしけんじょう/

/National Reseach Institute of Agricultural Engineering、農業工学研究所の前身。→農業工学研究所/1992.1.9農生資研からのスペルチェックです/94- 1-25/

/農業土木試験場/

/876/のうぎょうどぼくしけんじょう/National Reseach Institute of Agricultural Engieering/

/農業工学研究所の前身。/94- 1-25/→農業工学研究所/

/ノウフーネットワーク/

/877/のうふーねっとわーく/Know Who Network/

/茨城県のつくばコーディネーターによって整備されているつくばの研究紳士録。研究者名、研究課題等が収録されており、共同研究などの研究交流に役立てようというもの。「違う」という指摘あり。/94- 1-25/

/野口修/

/878/のぐちおさむ/Noguchi/Osamu/

/筑波研究学園都市の代表的なライブハウスのマスター。筑波研究学園都市の音楽文化、演劇文化の一翼を担っている。この人抜きではつくば文化を語れない。1955年10月4日生まれ。つくば市下広岡出身。/94- 1-25/

/野口修/

/879/のぐちおさむ/Noguchi,Osamu/人名/

/つくば市議会議員、アクアク代表。1955年10月旧桜村下広岡生まれ。東京電気大学付属高校中退。以降アルバイトをしながら演劇や文学などを独自に学ぶ。1979年天久保にフリースペース「クリエイティヴハウス・アクアク」を開設、オープニングに山下洋輔トリオを呼ぶ。当時、桜村唯一の都会的文化の発信拠点となった。以来、1982年にまつりつくばの実行委員に推され、街をイベントスペースにしたり、ACCSの番組「おでかけU-SENテレビ」製作にボランティアで参加したりと幅広い活動を続けてきた。1992年にはつくば新党を結成し代表となる。/1993.11.19常陽/931226/アルタキ/94- 1-25/

/ノバホール/

/880/のばほーる/Nova Hall/

/つくばセンタービルにあるコンサートホール。1983年6月10日にオープンした。管理はつくば市桜支所。シューボックス(靴箱)型のクラシック用に造られたホールで、アムステルダムのコンセルトヘボウやウイーンのムジークフェラインザールが参考にされた。残響時間は1.5〜2.0秒の可変式で、座席は1003席ある。私見ではあるが、弦がとても良く響き、音楽にひたることができるホールである。大阪のザ・シンフォニーホールや六本木のサントリーホール以上に音楽を楽しむことができることは確実。また、ノバホールを使って音楽を楽しもうと、「つくばコンサート」が住民によって企画され、世界中の著名演奏家が招聘されて好評を得ている。また、「つくば国際音楽祭」もここで開催されている。/つくば市吾妻1ー1364ー1/TEL:52-5881/M:N1E1/94- 1-25/

/ノバホール(補)/

/881/のばほーる/

/1992.1.4に仕事始めで出勤した館長が舞台上のスプリンクラーが誤作動しているのを発見。30分後に止まったものの、舞台が水浸しになり、客席の半分が冠水してしまった。「せり」を上下させるモーターなど設備機器の一部も修理が必要な状態という。ホールの利用予定が詰まっているため本格的な修理は1993夏以降で、修理には1,400万円以上かかるとか。/1992.6.16朝日/94- 1-25/

/野堀豊定/

/882/のぼりとよさだ/Nobori/Toyosada/

/つくば市理事。元つくば市副市長、元豊里町長。助役に転じた稲葉勝行理事の後任として1992.12.24に常磐新線問題担当の理事に就任した。理事就任は志村宗司氏と同時。。野堀氏は副市長辞任後は行政の第一線から退き、「遠東酒丸地区常磐新線開発対策協議会」の会長として活動していた。/つくば市遠東/1992.12.25茨城/920106/(アルタキ)/94- 1-25/

 

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