THE ENCYCLOPEDIA TSUKUBANICA

ツ〜ヅン

つくばファンクラブホームページへ

筑波研究学園都市大事典へ

た〜との目次へ

/通勤ラッシュ/

/587/つうきんらっしゅ/

/マイカー通勤がほとんどだと思う。あまり見られないのでは?通学ラッシュはよく見かける。/生田研一郎/94- 1-25/

/筑波/

/588/つくば/(Tsukuba)/

/@ 旧筑波町。A 筑波山を中心とする抽象的な区域。B つくば市筑波地区の字の一つ。C 筑波研究学園都市(1市1町)。D 筑波大学(大学生、受験生ことば)E 筑波サーキット(モータースポーツファンことば)/94- 1-25/→つくば、筑波町、筑波山、つくば市、筑波研究学園都市、筑波大学、筑波サーキット/

/つくば/

/589/つくば/Tsukuba/

/@ 研究学園都市の開発によって新しくつくられた都市的風景が見えるところ。若干の周辺地区を含んでも良い。合併してできた市にひらがなの名称が与えられる以前から誰に定義されるわけでもなく漠然と、それでもわざわざひらがなで「つくば」と呼んでいた地域。A 茨城県南地域の中でつくば市を中心とする広域的で抽象的な部分。B つくば市のこと。C 筑波研究学園都市(1市1町)。D 研究学園地区。/94- 1-25/→筑波、県南地域、つくば市、筑波研究学園都市、研究学園地区/

/つくば・吾妻1丁目団地/

/590/つくば・あづまいっちょうめだんち/Tsukuba Azuma 1-Chome Housing/

/1988年8月に入居を開始した鉄筋コンクリート造8階建て一部4階建ての公団賃貸住宅。1DK4戸、1LDK4戸、2LDK17戸、3DK33戸、3LDK18戸、4LDK4戸、計80戸。ホームオートメーションの設備を備えたつくばらしい先進的な賃貸住宅である。テレコントロールでは、電話で風呂を沸かしたり、電灯をつけたりできる。また、電話を2回線引くこともできるのでファクシミリをつけるときに便利。駐車場が80台分100%確保されているのも魅力の一つ。広場は少しメルヘンチックでかわいい。募集は1988年7月3日に始められたが、即日抽選で全戸埋まってしまった。/つくば市吾妻1-4-3-602/M:S1W1/94- 1-25/

/ツクバ・インフォメーションラボ/

/591/つくば・いんふぉめーしょんらぼ/

/つくばを拠点に活動を広げる企画・出版会社。村上仁志??氏が学生の時に設立した会社である。イベント企画はもちろん、「つくば食事典」の出版、各種の美しいデザインの絵はがき制作などを行っている。このつくば研究学園都市大事典を配本してくれています。つくば市竹園2-10-12 TEL:58-1111 FAX:52-0844 M:????/1992.3.28アルタキ/94- 1-25/

/つくば・春日/

/592/つくば・かすが/

/つくば市春日2丁目37にある公団の賃貸住宅。第一次募集は1992.2.1〜2.9まで現地受付、2.10に抽選する。RC造5階建てで1LDK・3LDKの3タイプ33戸。入居時家賃は62,500円〜102,500円。問合せ:住宅募集センター TEL:03-3347-4375または茨城住宅管理協会 〒305つくば市竹園3丁目 TEL:0298-51-3441/1992.1.28産経/94- 1-25/

/つくば・さくら団地/

/593/つくば・さくらだんち/Tsukuba Sakura Housing/

/1985年3月に中心地区の竹園1丁目に建設された公団賃貸住宅。1DKから3LDKまでの計159戸。センチュリーハウジングのモデルとして建設され、5階建なのにエレベーター、太陽熱温水器、浴室乾燥機、シャワートイレ、真空集塵などの先進的な設備が整っている。また、住戸可変システムにより、将来、建て替えせずに住戸形式や戸数を変えることができる。科学万博の際には外国パビリオンのスタッフの宿舎として使用され、好評だった。当時、団地の中にチェリークラブというサロンがあり、外国人の溜り場になっていた。/問合せ:茨城住宅管理協会/つくば市竹園1ー/TEL:51-3441/M:S1W1/94- 1-25/

/つくば・並木4丁目団地/

/594/つくば・なみきよんちょうめだんち/Tsukuba Namiki 4chome Housing/

/並木大橋のたもとにある公団の賃貸住宅。5階建て3棟で94戸。つくば市並木4- /M:S3E3/94- 1-25/

/つくば・二の宮/

/595/つくば・にのみや/

/@第2次は41画地。1991.9.30から1991.10.7まで郵送申込み。抽選は1991.10.30。土地は平均227.73u、3,235万円、建物は平均120.82u、2,462万円。総額は4,559〜6,982万円。入居は1991.12下旬の予定。第一次は38画地。平均77.4倍、最高236倍だった。A1991.10.30に抽選があり、最高171倍、最低5倍、平均42倍の競争率だった。応募者の属性は、56%が市内在住、51%が市内在勤で平均年収は980万円だった。/@1991.9.23茨城A1991.10.31東京/94- 1-25/

/つくば・二の宮第2/

/596/つくば・にのみやだい2/

/つくば市二の宮4丁目13-1にある公団の賃貸住宅。パークヴェルデ二の宮の第2期分か??。それとも隣にあるのか??第一次募集は1992.2.1〜2.9まで現地受付、2.10に抽選する。RC造5階建てで3LDK・4LDKの2タイプ29戸。入居時家賃は88,500円〜109,400円。問合せ:住宅募集センター TEL:03-3347-4375または茨城住宅管理協会 〒305つくば市竹園3丁目 TEL:0298-51-3441/1992.1.28産経/94- 1-25/

/Tsukuba Academic New Town/

/597/つくばあかでみっくにゅーたうん/Tsukuba Academic New Town/

/筑波研究学園都市が計画時よりEXPO'85まで使っていた英語名称。学園イコールアカデミックと言う連想の基に利用されていたが、外国人には意味が解らないとの声があった。科学博を期に、Tsukuba Science Cityに統一されてしまった。まだ残っているのは、ケーブルテレビ局ACCSの最初のAがAcademic New TownのAであることぐらいである。/94- 1-25/

/つくば・アカデミック・リサーチ・アソシエーション/

/598/つくばあかでみっくりさーちあそしえーしょん/Tsukuba Academic Research Association/構想/

/筑波大学が描く産・学・官の研究交流構想。内容は@研究情報の交流促進のためのデータベース作成、Aコンピューターだけでなく生身の人間に着目した研究者交流、B具体的な共同研究の実施の3本柱からなる。頭文字からTARA構想ともいわれる。1993年度の予算要求に盛り込まれた科学技術相談室は@のデータベース作成を行う組織の足がかりとして位置づけられている。/1992.12.19常陽/930107/アルタキ/94- 1-25/

/筑波石川研究交流会/

/599/つくばいしかわけんきゅうこうりゅうかい/

/石川県が設立した県人会組織。1989.7.1にはつくば研究支援センターにつくば科学技術情報センターを設置した。/1992.6.24読売/94- 1-25/

/つくばイベント案内/

/600/つくばいべんとあんない/Tsukuba Event Information/

/つくばのイベント情報フリーペーパー。桜村観光協会が、科学万博の1985年を「つくばの観光元年」とし、閉幕直後の9月、「桜村観光」として創刊したものをベースにしている。協会発行の観光パンフレットやガイドブックが施設内容や地理的紹介に中心をおいているのに対し、「つくばイベント案内」では最新の文化レジャー情報をつくばの来訪者及び地元住民に提供することを主眼においている。隔月偶数月発行。発行部数1万部。インフォメーションのほか、ニュースやトピックス、プレゼントクイズも盛り込まれ、つくばの「ぴあ」との別名も得ている。市内の公共施設やホテル、商店などで手にはいる。/問合せ:つくば市桜観光協会/57-3131/94- 1-25/

/つくばインターナショナルスクール/

/601/つくばいんたーなしょなるすくーる/

/つくば市内に短期滞在する外国人子弟の教育に当たる財団法人。つくば市内には3,000人の研究者、留学生、その家族らがおり、市内の幼、小、中には29カ国172人の外国人児童、生徒が学んでいるが日本語の教科書で日本人と同じ勉強をしなくてはならず、帰国後学習の差が大きすぎるなどの問題も出ている。そこで当面、短期滞在する外国の子供達を対象に英語で授業を行う学校を作ることとし、市内在住の外国人らが世界各国のインターナショナルスクールの管理・運営を行っている米国の民間団体の協力を得て開校することになった。土浦市内の学習塾の校舎を借り、1992.9開校を目指して資金の調達を依頼中である。なお、出えん金は1992年度2,000万円を目標としており、県、市、企業、団体に協力を依頼している。/1992.3.11読売/94- 1-25/

/つくばインフォメーションセンター/

/602/つくばいんふぉめーしょんせんたー/Tsukuba Information Center/

/正式名称は「茨城県つくばインフォメーションセンター」。つくばセンタービルの一角にあり、茨城県が運営・管理する都市紹介施設である。1990年4月に改装した。筑波研究学園都市内の研究所や学園都市の生い立ちの紹介パネルやマルチビデオの他、ビデオテックスによって県内外の情報を手に入れることができる。つくばを見学するならまずここから出発するのもいい。見学無料。開館時間:10:00〜17:00、年中無休。/つくば市吾妻1丁目/TEL:52-6789/M:N1E1/94- 1-25/

/つくば宇宙センターサマースクール/

/603/つくばうちゅうせんたーさまーすくーる/

/宇宙開発事業団筑波宇宙センターが国際宇宙年を記念して1992.7.27から7.31の5日間開催する夏学校。ロケット、人口衛星の基礎知識、宇宙ステーション、HOPE計画、月・惑星開発利用構想などについての講義、技術試験衛星(ETS-Y)の実物、各種試験設備、中央追跡管制所などの見学、地球観測データを基にした画像解析、モデルロケット打ち上げ演習、つくばエキスポセンター見学など盛りだくさんの内容が予定されている。対象は高専、短大、大学、大学院生(理工学分野)で全日程参加可能な人30人。参加費無料。問合せ:筑波宇宙センターサマースクール事務局52-2211、2229つくば市千現2-1-1まで。/94- 1-25/

/つくばエキスポセンター/

/604/つくばえきすぽせんたー/Tsukuba Expo Center/

/科学万博の記念施設としてつくば科学万博記念財団が管理運営している文化施設。科学万博の際には日本政府出展の都心会場(第2会場)だった。コズミックホール、サイエンスフォーラム、AVホール、トマト館で構成されている。延べ床面積10,498u。設計は日本設計・佐藤武夫設計JV。開館時間:10:00〜17:00、休館日:月曜、祝日の翌日。料金:大人420円、小人200円、コズミックホールは別途大人630円、小人300円。/つくば市吾妻2-9/TEL:58-1100/M:N1W1/94- 1-25/

/筑波エネルギーサービス株式会社/

/605/つくばえねるぎーさーびすかぶしきがいしゃ/Tsukuba Energy Servise Co.,Ltd./

/筑波研究学園都市の中心地区を対象に蒸気と冷水を供給する会社。1980年11月設立。社長は吉田泰夫(非常勤)。/つくば市吾妻1ー1312/TEL:51-8231/M:N1W1/94- 1-25/

/筑波演劇フェスティバル/

/606/つくばえんげきふぇすてぃばる/Tsukuba Play Festival/

/「つくば文化を考える会」が県内外のアマチュア劇団を集めて開催している意欲的な演劇祭。天久保のジャズ喫茶AKUAKUのマスターの野口修が中心になって行っている。10月から11月の土・日祝日に中央公園内の特設テントやライブハウスを会場に繰り広げられる。(1989年は不明)/94- 1-25/

/筑波おろし/

/607/つくばおろし/Tsukuba Oroshi Wind/

/赤城おろしのつくば版。晩秋から吹き始める冷たい強い北西のからっ風で、スカートをはく女性を困らせる。ここでもかかあ天下とからっ風が幅をきかせているので男性は家に閉じ込もりがちである。なお農村部にはこのからっ風から屋敷を守るため、けやきを主体とした屋敷林があり、つくばの景観を創る要素の一つになっている。/94- 1-25/

/つくば音頭/

/608/つくばおんど/Tsukuba Ondo/

/1990年3月、ふるさと創生事業の一環として、住民の郷土愛を深めるために、つくば市商工観光課が主体となって制作した音頭。歌詞は一般公募の結果、真壁町の臼井ひさしが最優秀賞を獲得した。補作詞:石本美由起、作曲:市川昭介、歌手:原田直之、菊池恵子。歌詞(一番):つくばやまなら、おしゃれが似合う/梅と桜の春化粧/古い歴史と未来の街を結ぶ学園夢づくり/つくばつつんと景気よく踊ろう/つくば音頭の華やかさ/つくばつくづく好きになる/94- 1-25/

/筑波会議/

/609/つくばかいぎ/

/第5回筑波会議は「つくばらしさを問い直す」をテーマに1992.3.3〜行われた。/1992.3.5常陽/94- 1-25/

/つくば科学技術情報センター/

/610/つくばかがくぎじゅつじょうほうせんたー/

/石川県が全国の地方自治体に先駆けて1989.7.1につくば研究支援センター内に設置したつくばの科学技術情報の収集・提供を行う組織。所長は前田明男。つくばの科学技術情報の地元への提供や地元企業からの技術相談を受けて研究者を紹介することなどを行い、つくばと石川のパイプ役となっている。なかでも、つくばで活躍する同県ゆかりの研究者や地元の産官学の関係者が研究内容を発表し合う「石川サイエンスフォーラム」を地元で開催することが同センターの最大の仕事で、1992年で第5回目になる。同センター設置以後、石川県を含めて17の県がつくばに何らかの情報収集組織を設置している。/1992.6.24読売/94- 1-25/

/つくば科学万博記念財団/

/611/つくばかがくばんぱくきねんざいだん/Tsukuba EXPO'85 Memorial Foundation/

/1985年に開催された科学万博の100億円といわれる余剰金を基に設立された財団法人。理事長は福島公夫。つくばエキスポセンターの管理運営を行う他、YAC(日本宇宙少年団)の事務局もここにある。東京事務所:つくば市竹園2-20 TEL:56-0463/つくば市吾妻2-9/TEL:58-1100/M:N1W1/94- 1-25/

/つくば・春日団地/

/612/つくばかすがだんち/

/住宅・都市整備公団が春日2丁目37に建設した賃貸住宅。RC5階建てで1LDK〜4LDKまで4タイプ、60戸。入居時家賃は63,300円〜109,700円。12月中旬入居予定。つくば・二の宮第二団地と同時に1992.10.3〜10.11まで現地で申し込みを受け付けた。問合せ:住宅募集センター03-3347-4375、茨城住宅管理協会51-3441/1992.10.1産経/94- 1-25/

/つくば看護専門学校/

/613/つくばかんごせんもんがっこう/Tsukuba Nursuring School/

/茨城県における医療の向上を図るため、資質の高い看護職員を育成するために1989年4月に設立された茨城県立の学校。近くに筑波大学附属病院と筑波メディカル病院があり、医療ゾーンを形成している。高校卒業者を対象。一学年50名、3年課程の総定員150名。/つくば市天久保1ー1ー2/TEL:52ー3515/M:N1W1/94- 1-25/

/つくば学/

/614/つくばがく/

/つくばを対象とする学問とつくばで行われている学問の総称。前者は筑波研究学園都市の特殊性に着目し、新しい都市建設のケーススタディーとしてつくばを解明しようとする学問で、後者はつくばで行われている、最先端の研究を含む様々な学問を指す。/94- 1-25/

/筑波学園ガス株式会社/

/615/つくばがくえんがすかぶしきがいしゃ/Tsukuba Gakuen Gas Co.,Ltd./

/筑波研究学園都市に都市ガスを供給している会社。本社:つくば市金田1917 TEL:57-3187 M:N3E1/竹園サービスステーション/つくば市竹園3-21/TEL:51-4682/M:S1E1/94- 1-25/

/筑波学園JC/

/616/つくばがくえんじぇーしー/Tsukuba Gakuen JC/

/筑波学園青年会議所のこと。JCはJunior Chamberの略。つくば市ができる前から、この地域の青年実業家達は、筑波研究学園都市という広がりを認識しており、EXPO'85の1年前にこの筑波学園JCを設立した。一度だけで終わったつくばワールドの仕掛人グループでもある。名称が変わったというのですが、どういう名前になったのでしょうか?/94- 1-25/

/筑波学園青年会議所/

/617/つくばがくえんせいねんかいぎしょ/Tsukuba-Gakuen Junior Chamber/

/94- 1-25/→筑波学園JC/

/筑波学園ホテル/

/618/つくばがくえんほてる/Tsukuba Gakuen Hotel Co.,Ltd/

/筑波第一ホテルを経営する株式会社筑波学園ホテルのこと。/94- 1-25/→筑波第一ホテル/

/筑波学園ホテル協同組合/

/619/つくばがくえんほてるきょうどうくみあい/(?)/

/つくばのホテル・旅館の情報ならここに問い合わせれば何でも教えてくれる。現在はつくばターミナルの2階の観光案内所に事務所があり、筑波研究学園都市の案内業務も引き受けている。/TEL:55-7155/94- 1-25/

/筑波学園郵便局(改)/

/620/つくばがくえんゆうびんきょく/

/Tsukuba Gakuen Post Office、筑波研究学園都市を対象とした普通郵便局。1979.10.22に開局した。一日約80,000通の郵便物を扱っているが、つくばの特徴を反映して国際郵便物の取扱が多い。ちなみに1992.1.1の年賀ハガキ配達数は1,506千通だった。設計は郵政大臣官房建築部、敷地面積5,023u、延べ床面積5,986u。つくばファンクラブの私書箱はここの113号。問合せ:吾妻1-1376 TEL:51-9612(郵便)、51-9613(貯金)、51-9614(保険)/1993.1.19返信林さん51-9611から資料を頂きました/94- 1-25/

/筑波学園郵便局/

/621/つくばがくえんゆうびんきょく/Tsukuba Gakuen Post Office/

/筑波研究学園都市を対象とした集配郵便局。1979年開局。つくばの特徴を反映して国際郵便物の取扱が多い。設計は郵政大臣官房建築部、延べ床面積は5,986u。つくばファンクラブの私書箱はここの113号。/つくば市吾妻1丁目/TEL:51-9612(郵便)、51-9613(貯金)、51-9614(保険)/94- 1-25/

/筑波学生新聞/

/622/つくばがくせいしんぶん/(______)/

/筑波大学には大学がつくっている筑波大学新聞と、学生がつくっている筑波学生新聞があり、後者は前者の大学側の報道管制に反発して出来た新聞である。これをやると、朝日新聞に入れる という噂があったが、今は定かではない。年10回発行(ほぼ月刊)。大学周辺の書店、コンビニエンスストアーで手にはいる。100円。発行:筑波大学学生新聞会/つくば市天久保3-9-6 オオキビル3F/TEL:52-4460/94- 1-25/

/つくば学会(仮説・提案)/

/623/つくばがっかい/

/つくばを対象とする研究者とつくばで研究を行っている研究者の団体。つくば(筑波研究学園都市)を対象とする研究報告、つくばで行われているまちづくりなどの事例報告、つくばで行われている各種の先端的な研究のわかりやすい報告の3部門からなる。そのうち実現する。/94- 1-25/

/筑波技術短期大学(改)/

/624/つくばぎじゅつたんきだいがく(改)/

/1987年10月に設置された視聴覚障害者のための国立の3年制の短期大学。日本初の障害者のための大学である。入学定員は聴覚障害関係学科が50人(デザイン学科10人、機械工学科10人、建築工学科10人、電子情報学科・電子工学専攻10人、電子情報学科・情報工学専攻10人)と視覚障害関係学科が40人(鍼灸学科20人、理学療法学科10人、情報処理学科10人)で、教職員の定員は163人である。1990.4に入学式を行った聴覚障害関係学科は天久保4丁目に、1991.4に入学式を行った視覚障害関係学科は春日4丁目にキャンパスがある。設置に際して障害者を中心に「障害者の隔離策」ではないかという理由の反対運動がおこり、建設スケジュールが大幅に遅れたこともあった。学長は三浦功。聴覚部、管理部門:つくば市天久保4-3-15、視覚部:つくば市春日4-12。TEL:52-2931 FAX:51-4691/1992.2.10萩田さんからパンフレットを頂きました。ARU/94- 1-25/

/筑波研究学園専門学校/

/625/つくばけんきゅうがくえんせんもんがっこう/(______)/

/科学万博の翌年にできた専門学校。学校法人筑波研究学園が運営をしている。電子情報学系、情報デザイン学系、経営情報学系の3学系がある。校舎の一部に科学万博のソ連館を再利用している。土浦市上高津1601、TEL:22-2452 M:S2E5/94- 1-25/

/筑波研究学園専門学校(改)/

/626/つくばけんきゅうがくえんせんもんがっこう(改)/

/Tsukuba Institute of Science and Technology、科学万博の翌年にできた専門学校。1987年4月に207人の第一回の入学式を行った。学校法人筑波研究学園が運営をしている。コンピューター系6学科240人(電子制御工学科(3年課程)、電子制御学科(3年課程)、電子システム工学科、情報システム学科、電子情報処理学科、情報デザイン学科)、ビジネス系4学科160人(経営情報処理学科、情報経理学科、情報秘書学科、国際情報学科)がある。講堂等多目的施設は科学万博のソ連館を移築したものである。理事長は高良和武、学校長は廣瀬一郎。土浦市上高津1601、TEL:22-2452 M:E5S2/1992.1.13パンフレット等返信/94- 1-25/

/筑波研究学園都市/

/627/つくばけんきゅうがくえんとし/Tsukuba Science City/

/つくば市と茎崎町の区域(筑波研究学園都市建設法第2条)この法律による定義が出来るまでは「研究・学園都市」と言っていた。/94- 1-25/

/筑波研究学園都市研究機関等連絡協議会/

/628/つくばけんきゅうがくえんとし けんきゅうきかんとうれんらくきょうぎかい/Tsukuba Science City Liaison Council for Promotion of Research Exchange/

/筑波研究学園都市にある国の研究教育機関等を中心にした69の機関の長から構成され、各機関相互の研究協力、普及広報等の活動を行っている。設立当初は国等の研究教育機関のみで構成されていたが、科学万博以降、これらの国等の研究教育機関と関連する民間研究機関の進出が相次ぎ1988年から民間の研究機関もメンバーになれるようになった。ときどき思いだしたように発行される筑波研究学園都市の研究教育機関等の紹介パンフレット(発行:筑波出版会、300円)はこの協議会の普及広報専門委員会が監修している。/94- 1-25/

/筑波研究学園都市課題検討会/

/629/つくばけんきゅうがくえんとしかだいけんとうかい/組織/

/1993.4に国土庁、県、住宅・都市整備公団で構成する「新つくば計画」実現のための組織。「新つくば計画」の実現方策、取り組むべき課題などを検討する。具体的には、@新拠点整備の具体化、A定住促進方策、B業務核都市育成及び地域振興方策を三本柱としている。/1993.3.20常陽/930415/アルタキ/94- 1-25/

/筑波研究学園都市協議会/

/630/つくばけんきゅうがくえんとしきょうぎかい/(______)/

/茨城県・つくば市・茎崎町・国立研究機関・進出企業などで構成される協議会。1977年8月20日に設立。筑波研究学園都市の将来像をふまえて、会員相互が緊密な連携を図り、もって真に住みよく成熟した都市づくりを図るのが目的。/94- 1-25/

/筑波研究学園都市研究便覧/

/631/つくばけんきゅうがくえんとしけんきゅうびんらん/書籍/

/1993-94年度版の筑波研究学園都市研究便覧がまとまり、筑波出版会から発行された。B5版1,200ページ、26,000円。発行部数は2,000部。/筑波出版会/52-6531/1993.11.20茨城/931226/アルタキ/94- 1-25/

/筑波研究学園都市研究便覧/

/632/つくばけんきゅうがくえんとしけんきゅうびんらん/

/産官学の研究交流や連携を深める情報源にと、研究所、研究者、研究テーマが人目でわかるように編集されたもの。筑波研究学園都市研究機関等連絡協議会(会長・小泉明国立環境研究所長)が出版した。1980年以降隔年で発行されている。平成3年度版は7,500人の研究者と約13,000件の研究テーマを掲載。B5版、1100頁。発行部数:2,000部。定価:23,000円。問合せ:筑波出版会52-6531/1991.10.5東京、10.3朝日/94- 1-25/

/筑波研究学園都市研究論文総覧1991年版/

/633/つくばけんきゅうがくえんとしけんきゅうろんぶんそうらん1991ねんばん/

/筑波研究学園都市研究機関等連絡協議会が編集し日本科学技術情報センター筑波支部が刊行したもの。筑波研究学園都市にある国立、民間の研究所、大学、公益法人など62機関に所属する研究者約6,600人が1989年に発表した論文約11,700件を分野別に掲載したもの。1989年版以来、毎年作成され、1991年版で3度目。A4版763頁。350冊発行。うち200部を販売する。一部13,000円(消費税込み)。問合せ:日本科学技術情報センター筑波支部 TEL:51-4671/1991.10.17東京/94- 1-25/

/筑波研究学園都市研究論文総覧(1992年版)/

/634/つくばけんきゅうがくえんとしけんきゅうろんぶんそうらん(1992ねんばん)/書籍/

/筑波研究学園都市の研究者が1990年に発表した研究論文の論文名の一覧をまとめたもの。1988年以来毎年発行され、これが5版目。編集は筑波研究学園都市研究機関等連絡協議会。発行は日本科学技術情報センター。情報は同協議会加盟の66機関からよせられたものによっている。発表者総数は7,500人、論文数は約13,600件で1989年より約2,000件の増加。中でも筑波大学が3,679件でトップ。分野では物理学が2,074件でトップだった。定価15,450円(消費税込み)。/日本科学技術情報センター筑波支部/0298-51-4671/1993.1.30東京、茨城、読売/930224/アルタキ/94- 1-25/

/筑波研究学園都市建設法/

/635/つくばけんきゅうがくえんとしけんせつほう/the Tsukuba Science City Construction Law/

/1969年(昭和44年)に議員立法により制定された法律。都市の区域や研究学園地区建設計画と周辺開発地区整備計画を定めることを決めた法律である。特にこの法律が果たした役割として大きいのは、「筑波研究学園都市」という名称をオーソライズしたことである。それまでは「研究・学園都市」というどこにあるのかわからないし、まん中に「・」なんていうへんな点のある不便ななまえだったのだから。/94- 1-25/

/筑波研究学園都市大事典/

/636/つくばけんきゅうがくえんとしだいじてん/Encyclopedia of Tsukuba Science City/

/この本のことです。/94- 1-25/

/つくば研究支援センター(追加)/

/637/つくばけんきゅうしえんせんたー/

/建物はゴジラの撮影現場として使われた。/1992.3.26読売/94- 1-25/

/つくば研究支援センター/

/638/つくばけんきゅうしえんせんたー/

/Tsukuba Center Inc.、1988年に設立された官民出資による第三セクターの法人。民活法によるリサーチ・コア(研究開発企業化基盤施設)である。出資者は、茨城県、日本開発銀行及び民間企業74社。主な業務は、@試験研究施設等の施設提供事業、A産・官・学の研究者による研究交流事業、B先端技術分野の研究者を養成する人材育成事業、Cつくばのホットな情報を発信する情報提供事業。洞峰公園と宇宙センターの間にある。1989年7月から業務開始。会社名:株式会社筑波研究支援センター TEL:58-6000 M:S2E2/1991.12.29返信/94- 1-25/

/つくば研究支援センター/

/639/つくばけんきゅうしえんせんたー/Tsukuba Center Inc./

/1988年に設立された官民共同出資による民活法適用の法人。出資者は、官としては茨城県が、民としては清水建設を始めとする大手企業が軒並名前を連ねている。業務としては地元企業や一般企業に研究・業務スペースを提供してベンチャービジネスの育成を図ること、特定の新技術を育成すること、研究者間相互やコミュニティとの交流を図ることを目的としている。洞峰公園と宇宙センターの間にあり1989年7月に竣工した。/つくば市千現2ー1ー6/TEL:58-6000/M:S2E2/94- 1-25/

/筑波研究情報セミナー/

/640/つくばけんきゅうじょうほうせみなー/Tsukuba Research Information Seminar/

/JICST筑波支部が幹事となっている研究会。全機関の図書館情報担当者や情報に関心のある研究者の横の連絡と研究情報の勉強を行っている。隔月1回定期的に講演会などの活動をしている。/94- 1-25/

/つくばコーディネイター/

/641/つくばこーでぃねいたー/Tsukuba Co-ordinator/

/正式には茨城県技術交流コーディネーター。茨城県では県北地域の電機・機械、原子力産業の集積、鹿島地域の鉄鋼・電力等基幹産業の立地、筑波地域の研究頭脳集積の連携強化をはかり、県全般の産業界の科学技術水準の向上を願って「茨城県テクノリンケージ構想」が策定された。その具体化の一つがコーディネーター事業の展開である。1985年5月茨城県つくばインフォメーションセンター内に配置され、活動を開始。1989年7月からはその拠点を鰍ツくば研究支援センター内いばらきサロンに移した。主な業務は、国立機関の研究者と民間企業とのふれ合いを円滑にするための仲介役であり、また、つくばにおける国立研の研究情報の収集、これを民間企業へ提供すること。そのための講演会、交流会(つくばの夕べ)の開催、技術相談、研究者紹介などである。/94- 1-25/

/つくば恋しぐれ/

/642/つくばこいしぐれ/()/

/ACCSの番組、キャンパスサイドアベニューの番組中でつくられたカラオケソング。/94- 1-25/

/つくば公園通り/

/643/つくばこうえんどおり/Tsukuba Koen Dori-Avenue/

/赤塚公園から松見公園までに至る数多くの公園を結んだ全長5kmの歩行者・自転車専用道路(ペデストリアンウェイ)。赤塚公園から二の宮公園までは自然豊かな緑道で、四季折々に美しい花や木を楽しませてくれ、二の宮公園から松見公園までは都市的景観を楽しむことが出来る。「つくば公園通り」の名称は1984年に公募され、11月に名称決定委員会(委員長川手昭二筑波大学教授)で決定されたもので、都市計画の名称は赤塚・妻木線という。道幅は8mから16m。車道との交差は2か所をのぞいて立体交差なので、安全で快適そのもの。5kmを歩くのはちょっと困難なので、サイクリングで走るとよい。/問合せ:つくば市桜支所建設課/TEL:57-3131/M:N1W1/94- 1-25/→レンタサイクル/

/つくば航空/

/644/つくばこうくう/会社名/

/1990.7にともえ乳業の関連会社として設立された北関東に本社を置く初めての航空会社。社長は中田俊男。遊覧飛行や貸し切り便の運行などを行う。つくばヘリポートを拠点としており、1993.4.20に初運行を行った。社員は操縦士5人を含めて15人。所有する機体は業務用ヘリ3機、自家用ヘリ1機。/1993.4.21茨城/930511/アルタキ/94- 1-25/

/つくば高血圧マウス/

/645/つくばこうけつあつまうす/

/筑波大学応用生物化学系の村上和雄教授のグループが作り出すことに成功した自然に高血圧になるマウス。血圧は120〜150で正常なマウスの90〜110よりかなり高い。このマウスはヒトのレニン遺伝子とレニン基質遺伝子を別々に注入されたマウスの受精卵から生まれたものを交配させて生まれたマウスで、生後7ヶ月で高血圧になったもの。ヒトの高血圧の原因をさぐるために役に立ちそうだ。/1992.6.8朝日/94- 1-25/

/つくば高齢者問題研究会/

/646/つくばこうれいしゃもんだいけんきゅうかい/イベント/

/つくば高齢者問題研究会は、1993.10.30にカスミつくばセンターで「江戸川区の福祉に学ぶ−住宅改造に見るそのこころ」と題したシンポジウムを行い、医療、保健、福祉関係者など約200人が参加した。講師は中里喜一江戸川区長。/1993.11.1茨城/931105/アルタキ/94- 1-25/

/つくば国際音楽祭/

/647/つくばこくさいおんがくさい/イベント/

/第9回の筑波国際音楽祭は、ヨーロッパの都市が新世紀に向けて文化を創造した姿を振り返る「新世紀への光」をテーマに、1993.10.1から11.19の間に8公演を行うことになった。目玉は11.6のフランクフルト放送交響楽団。/1993.4.29読売/930511/アルタキ/94- 1-25/

/つくば国際音楽祭(補)/

/648/つくばこくさいおんがくさい/

/第8回つくば国際音楽祭は1992.9.30〜11.19までフランツ・シューベルトを題材として行われる。/1992.6.1産経/94- 1-25/

/つくば国際音楽祭/

/649/つくばこくさいおんがくさい/Tsukuba International Music Festival/

/つくばに音楽を通じて心豊かな潤いのある新しい都市文化を育てようと「新つくば文化の創造/アート&テクノロジー」をテーマに、1985年に始まった音楽祭。つくばの秋のイベントの一つとして、県内外から多くの聴衆を集めている。第1回は地元有志が中心となったが、第2回目からは、つくば国際音楽祭実行委員会(委員長:竹内藤男茨城県知事、構成:茨城県・つくば市などの関係機関、地元民間企業など)が主催している。年毎のテーマ(第1回:バッハ、第2回:モーツァルト、第3回:ベートーベン、第4回:チャイコフスキー、第5回:ウィーンからつくばへ)のもとに世界一流の演奏家がノバホールを舞台に名演奏を奏でている。また、家族向けの「こどもコンサート」や青少年のために周辺地域で開催される「ふれあいコンサート」も好評である。市民レベルで結成された「音楽祭を120%楽しむ会」の活動は特徴のひとつであるが、コンサート終了後のアーティストを囲む交流パーティーは有名。官主導といわれるこの音楽祭は、市民活動的なつくばコンサートやバッハの森コンサートとともに、質・量共に優れた音楽環境をつくばに形成していると言えよう。/94- 1-25/

/つくば国際音楽祭(補)/

/650/つくばこくさいおんがくさい/

/第8回つくば国際音楽祭では1992.9.30〜11.19までシューベルトをテーマに8本のコンサートが開催される。主催はつくば国際音楽祭実行委員会とつくば都市振興財団。ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(コリン・デーヴィス指揮)をはじめ素晴らしいアーティスト達がやってくる。/1992.8.31パンフレット/94- 1-25/

/つくば国際貨物ターミナル/

/651/つくばこくさいかもつたーみなる/施設/

/1992.7に設立されたつくば市の第3セクター「つくば国際ターミナル(TICT)」は順調に業績を伸ばしているが、運転資金の確保などのために6,000万円の出資を民間企業の協力を得て最大枠の2億4,000万円まで増資せざるを得ない状況になっている。/1993.6.25新いば/930717/アルタキ/94- 1-25/

/つくば国際貨物ターミナル株式会社/

/652/つくばこくさいかもつたーみなるかぶしきがいしゃ/

/茨城県が第三セクター方式で1992.5.7に設立する内陸貿易拠点(インランド・デポ)の運営を行う会社。つくば市榎戸に事務所がある。→インランドデポ/1992.4.23産経/94- 1-25/

/つくば国際ジャンボ囲碁大会/

/653/つくばこくさいじゃんぼいごたいかい/

/つくばフェスティバス実行委員会同大会推進部会がつくばフェスティバルの一環で、1990年から主催している囲碁大会。第2回の1991年はつくばフェスティバル'91に先立ち1991年5月26日に中国と韓国の留学生チームを含む330人、66チームが参加し、洞峰公園体育館で開かれた。優勝は国土地理院チーム(2年連続)。/1991.5.27茨城、5.29新いば/94- 1-25/

/つくば国際大/

/654/つくばこくさいだい/

/文部省が5.15に大学設置・学校法人審議会に諮問した1994年度開設の私大17校の一つ。つくば国際大は産業社会学部産業情報学科(入学定員100人)と社会福祉学科(同100人)で構成。土浦短期大学(土浦市真鍋6丁目)と私立土浦第一女子高校を経営する「霞ヶ浦学園」が開校する。予定地は土浦短期大学に隣接する国道125号バイパス周辺とみられている。/1992.5.17常陽/94- 1-25/

/つくばコンサート/

/655/つくばこんさーと/Tsukuba Concert/

/つくばセンタービルにノバホールが建設されたことをきっかけとして、住民の手によって良い音楽を聴くために組織された住民組織。第1回目は1984年4月29日に行われたコレギウム・アウレウム管弦楽団のコンサートであった。以降43回(1990.4現在)に及ぶコンサートを実施し約32,000人の動員実績を誇る。2年目からは富士通のサポートを得ることが出来たため、運営が安定したといわれる。1984年当時、生の音楽を身近で聴くことの出来なかった住民は、クラシックを生で聴けるということで、ノバホール通いをしたものだった。なにかにつけて東京と比較する住民にとって、家のそばでクラッシク音楽を聴けるということは、東京コンプレックスの解消にも役立ったと考えられる。ノバホールをただの靴箱(シューボックス型の音楽ホール)にせずに、大いに活用を図ったつくばコンサート実行委員会の功績は大きい。/問合せ:つくばコンサート実行委員会/筑波学園郵便局私書箱56号/94- 1-25/

/つくばコンサート(改)/

/656/つくばこんさーと/

/Tsukuba Concert、つくばセンタービルにノバホールが建設されたことをきっかけとして、住民の手によって良い音楽を聴くために組織された住民組織。第1回目は1984年4月29日に行われたコレギウム・アウレウム管弦楽団のコンサートであった。以降57回(1992.4現在)に及ぶコンサートを実施し42,000人の動員実績を誇る。つくばでチケット発売の前夜から徹夜の行列ができたり、発売初日で全席売り切れたりするコンサートは、このつくばコンサートだけである。演奏会の企画は音楽ファンの希望投票をもとにすべてつくばコンサート実行委員会の合議で決められその質の高さには定評がある。これまでにアシュケナージ、シュタルケル、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団等の招聘に成功し、ノバホール開館以来つくばの音楽文化の事実上の牽引者であった。ノバホールをただの靴箱(シューボックス型の音楽ホール)にせずに、大いに活用を図ったつくばコンサート実行委員会の功績は大きい。/1992.2.返信/94- 1-25/

/筑波研究コンソーシアム/

/657/つくばこんそーしあむ/

/民間企業が出資して設立した研究交流財団。スタンレー電気、テイサン、日本重化学工業、日本真空技術、浜松ホトニクス、ハリマ化成、安川電機、明石製作所の8社が主要メンバー。専務理事は河本哲三。明石製作所は1991.12いっぱいで脱退することになった。また、1991.12.12に筑波研究コンソーシアムは明石製作所の所有地を譲り受けて、パイロット研究棟を新設すると発表した。同研究棟はRC3階建てで延べ床面積は3,191u。1、2階にはニコンの超微細技術(ナノテクノロジー)研究グループが入り、3階には新技術事業団が入る予定。1991.12.18に着工し、1992.11末に完成の予定。/94- 1-25/

/つくば号/

/658/つくばごう/Tsukuba-Gou/

/ツクバセンター〜東京駅を結ぶ高速バス「特急つくば号」のこと。/94- 1-25/→高速バス/

/つくばごみ懇談会/

/659/つくばごみこんだんかい/

/つくば青年会議所がつくば市民会議を開催するに当たり、1991.5に消費者グループ、流通業者、行政側を交えて設置した会議。ごみ問題の解決に向けた話し合いなどを実施している。/1991.7.5常陽/94- 1-25/

/Tsukuba Science City/

/660/つくばさいえんすしてい/Tsukuba Science City/

/筑波研究学園都市は、以前6か町村にまたがっていたため、科学万博を誘致する際に科学技術庁がつけた筑波研究学園都市の英語名称。それ以前に使っていたTsukuba Academic New Townとの混乱がしばらくあったが、外国人にはScience Cityのほうがわかりやすいとの評価があり、こちらがすっかり定着した。とはいえ、内容をうまく表現していないとの声もある。/94- 1-25/→Tsukuba Academic New Town/

/つくばサタデーサテライト生放送お昼の伝言板/

/661/つくばさたでーさてらいとなまほうそうおひるのでんごんばん/Tsukuba Saturday Satellite/ Namahoso-Ohiru no Dengon-ban/

/ACCS9chの住民企画制作出演番組。毎週土曜の昼13:00から、ACCS広報センターより生中継の「アンチ・マスメディア」「さらばTVごっこ」を模索して作られたこの番組には、制限時間がない。情報がなければ30分以内でも終わり、たくさん集まれば70分だって放送する。いかにもTVらしいヤラセやカメラワークは避け、肉声による伝言板として、送り手と受け手が、つくばの時間と空間を共有する。老若男女、多くのつくば人が出た。ともすれば大きな声のワンウェイに独占されがちなニューメディア時代に、たくましく育って欲しい小さな双方向番組である。(矢崎彰)/問合わせ先:ACCS広報センター/58-2460(木曜休)。/94- 1-25/→ACCS/

/筑波山/

/662/つくばさん/Mt.Tsukuba/

/つくばから見て左の山頂が男体山(870m)、右が女体山(876m)。中腹にある筑波山神社は縁結び、夫婦和合の社として崇められている。登山道やロープウェイ、ケーブルカーは四季を通して登山やマイカーでの行楽で賑わう。筑波山の梅林は全国的に有名。地元の小学校の遠足のコースにも欠かせない。/M:N17W1/94- 1-25/

/筑波山/

/663/つくばさん/

/学園都市の自然と親しむ会が出版した筑波山の研究成果。ガイドブックとしても役立つ。執筆者12人は同会メンバーの自然科学者たちで、研究機関の主任研究員や高等学校長などその道の専門家ばかり。植物、昆虫、魚、鳥、地質、気象などのそれぞれの得意の分野についてまとめている。写真やイラストも多く、コースガイドもついているので、「筑波山をなで回したようにわかる」とは事務局の話。出版元のSTEP(株)では「つくばの自然誌シリーズ全10巻(予定)」の第1弾としており、今後の続刊が期待される。A5判、120頁、1200円。/1992.6.4毎日/94- 1-25/

/つくば市/

/664/つくばし/Tsukuba City/

/つくば市は北に名峰筑波山を持つ、世界の最先端技術産業の研究所群が立ち並ぶ自然に恵まれた都市である。1987年11月30日、大穂町・豊里町・谷田部町・桜村の4町村が合併し、新市が誕生した。さらに1988年1月31日には筑波町も合併し、面積25,771haで県下2番、人口140,004人で県下3番の都市となった(1989.8現在)。地区は旧町村単位の5地区からなる。現市長は倉田弘。ひらがなの市は、他にいわき市、むつ市、えびの市がある。姉妹都市提携している市はサマーランド市、ケンブリッジ市、アーバイン市。/94- 1-25/

/つくば市/

/665/つくばし(補)/

/首都東京から約50km、県都・水戸市からも約50km、新東京国際空港(成田市)からは約40kmの距離に位置し、土浦市をはじめとする13市町村と隣接する。なん歩国長く、面積は257.71km2で、県内市町村では大子町に次いで2番目に広い。県下第3の都市。市の中心部には30年の歳月をかけて建設された筑波研究学園都市があり、47の国立試験研究機関がある。さらに、研究学園都市をとりまく形で工業団地が整備され、研究開発型の民間研究所が立地している。昭和60年の産業別人口構成は第一次産業21.8%、第二次産業21.8%、第三次産業60.2%。学園都市の周辺には、平地林、畑、水田など、昔ながらの田園風景が広がり、市の北には筑波山がそびえる。現在の市は1987.11.30、大穂町、豊里町、谷田部町、桜村の4町村の合併で誕生。翌1988.1.30には筑波町が加わった。/1991.8.29茨城/94- 1-25/

/つくば市一般廃棄物減量等推進審議会/

/666/つくばしいっぱんはいきぶつげんりょうとうすいしんしんぎかい/

/市長の諮問機関として一般廃棄物の減量、分別、リサイクルなどに関する調査、審議を行い、意見を取りまとめて答申する。市議、公共団体の役職員など25人の役員で構成する。任期は2年。設置条例案が9月定例市議会に上程される。/1992.9.2東京/94- 1-25/

/つくば市一般廃棄物減量等推進審議会/

/667/つくばしいっぱんはいきぶつげんりょうとうすいしんしんぎかい/組織/

/つくば市が設立したごみの減量を進めるための組織。ごみの減量条例に基づく審議会で、県内でも珍しいそうだ。メンバーは県、市、市議会のほか国立環境研究所研究官、筑波大学教官、流通関係者、地元住民ら25人で構成。つくば市としては、1993年度に一般ごみの減量方法について諮問・答申を得たいとしている。/1993.3.3日経/930403/アルタキ/94- 1-25/

/つくば市行政組織検討委員会/

/668/つくばしぎょうせいそしきけんとういいんかい/組織/

/1993.5.12の記者会見で木村市長はつくば市は新庁舎ができるまでの暫定的な行政組織の望ましいあり方を探るための組織を作ることを明らかにした。メンバーは市長、助役、収入役、各部長ら庁議の出席者など27人。/1993.5.13日経/930525/アルタキ/94- 1-25/

/つくば市ごみ問題懇談会/

/669/つくばしごみもんだいこんだんかい/

/つくば市のごみ問題を行政や市民が一体となって考えようと、つくば市が学識経験者、市民、排出事業者、収集者、研究所の研究者、行政を集めて1991.11.26から開いている懇談会。/1991.11.27毎日・読売/94- 1-25/

/つくば市職員研修所/

/670/つくばししょくいんけんしゅうじょ/施設/

/つくば市の職員研修所。つくば市役所筑波庁舎内にある。1991年度の機構改革で誕生した。茨城県内の市町村で独立した職員研修所を持っているのはつくば市だけである。/1993.2.23読売/930204/アルタキ/94- 1-25/

/つくば市常磐新線推進協議会/

/671/つくばしじょうばんしんせんすいしんきょうぎかい/組織/

/つくば市が常磐新線の建設と沿線開発を推進するために設立する予定の組織。メンバーは市議会議員、公共団体役員、学識経験者、市幹部など30人で、会長には木村操市長が就任する。会では新線建設の影響や沿線開発に伴う町づくりなどについて調査・研究する一方、PR紙を発行し、新線建設でつくば市がどのように変わって行くかを市民に知らせていく。/1993.7.7日刊工業、日経/930717/アルタキ/94- 1-25/

/つくば市政を正す市民の会/

/672/つくばしせいをただすしみんのかい/組織/

/1993.5.12に木村市長のゴルフ場開発をめぐる贈収賄疑惑を往(?)法収賄罪で水戸地検に告発した松代5丁目の建築家長尾庄治良氏(71)が代表を努める団体。告発は長尾氏ら14名の市民の名前で行われた。/1993.5.13読売、産経、東京、新いば/930525/アルタキ/94- 1-25/

/つくば市長/

/673/つくばしちょう/

/第2代つくば市長選挙は1991.12.22に投票が行われ、木村操氏(64)に決まった。得票数は木村操33,624票、倉田弘27,684票。当日の有権者数102,039人。投票率は62.84%(前回75.44%)。同時に行われた市議補選は沖山和治(無新、47)と東郷正孝(社元、43)が当選した。/94- 1-25/

/つくば市庁舎/

/674/つくばしちょうしゃ/

/@市庁舎建設審議会(会長・五十嵐治也筑波大学名誉教授)は7月に答申をまとめた。つくば市では設計者選定委員会を設置する予定。建設費としては140億円が見込まれている。敷地は警察の西隣の2.9haの土地。職員1,000人、延べ床面積25,000u(除く公用車100台分の地下駐車場4,000u)が想定されている。A1991.9.9に市議会全員協議会に提出された報告書によると、1994年度末の完成を目指す市庁舎は市民開放型庁舎像を想定し、建設予定地は竹園1-3-1、2.9haの土地。職員1,000人、延べ床面積25,000u(除く公用車100台分の地下駐車場4,000u)、駐車場はピーク時1,000台となっている。/@1991.8.18茨城A1991.9.10朝日/94- 1-25/

/つくば市長宅放火事件/

/675/つくばしちょうたくほうかじけん/

/1992.11.17未明につくば市島名398の木村市長宅の物置(木造2階建て、約83u)と乗用車1台が全焼した事件。つくば中央署は放火とみて捜査をしている。全焼した物置は昭和7年頃に建てられた建物でふだんはあまり使っていなかったという。/1992.11.8読売/94- 1-25/

/つくば市長宅放火事件(補)/

/676/つくばしちょうたくほうかじけん/

/1992.11.19に常陽新聞水戸支社へ大日本政治連盟から犯行声明文が郵送された。大日本政治連盟は架空の政治団体名で、つくば中央署ではいたずらかどうかなど事件との関連性について調べている。/1992.11.20常陽/94- 1-25/

/つくば市長杯囲碁大会/

/677/つくばしちょうはいいごたいかい/

/日本棋院つくば支部(坂本一高支部長)主催の囲碁大会。1992.6.28の13:00から二の宮公民館で開かれる。後援はつくば市。試合は一人4局の変則リーグ戦で行い、戦績により日本棋院の免許も取得できる。参加費は1,000円。問合せは同支部連絡所51-0220(夜間)へ。/1992.6.24茨城/94- 1-25/

/つくばしったかぶりじてん/

/678/つくばしったかぶりじてん/Tsukuba Shittakaburi Jiten/

/この本のことです。/94- 1-25/

/つくば市都市振興財団/

/679/つくばしとししんこうざいだん/

/TEL:56-7007/94- 1-25/

/つくば市内循環バスシステム研究会/

/680/つくばしないじゅんかんばすしすてむけんきゅうかい/

/つくば市の将来の交通システムを考えようと、産官学から有志が集まって1989.7に設立された研究会(代表・河本哲三、事務局長・横山静一郎、28人)。つくば市らしい市民の足をどう実現するか、循環バスに絞って研究を進めてきた。2年間の研究成果をまとめた研究報告書第1集を1991.10.29に発表した。中央循環をはじめとする8つの路線、乗換自由方式、バス停のサロン化、世界のバスのような特色あるバス、車内美術館、低公害バスの導入などを提言している。問合せ:47-5366、超伝導エネルギー貯蔵研究会内の同研究会へ/94- 1-25/

/つくば市農業振興地域整備促進協議会/

/681/つくばしのうぎょうしんこうちいきせいびそくしんきょうぎかい/

/旧五町村単位に会った組織を一本化し、1991.8に設立された。会長・倉田弘(市長)、副会長・成島市左?(エ)門、中川三郎。/1991.8.28新いばらき/94- 1-25/

/つくば市の街づくりを考える会/

/682/つくばしのまちづくりをかんがえるかい/

/代表は桜井藤郎。つくば市が常磐新線をはじめとした大規模開発によって大きく変わろうとしている中で、市民の生活や環境を守るため、今後の開発問題に取り組んでいる。1991.9.3に筑波市長選に立候補を予定している2人に公約要請書を郵送した。/1991.9.4毎日他/94- 1-25/

/つくば市福祉団体等連絡協議会/

/683/つくばしふくしだんたいとうれんらくきょうぎかい/組織/

/1993.7.13に県議会議長と県教育長に対して、つくば市並木地区に幼・小・中・高等部併設の養護学校(肢体不自由児と精神薄弱の併設)設立を求める陳情を行った。つくば市に設立されれば下妻養護への遠距離通学と土浦養護の超過密状況が解消され、つくば市の養護学校に151人が通学するとしている。代表は三土とみ子。/1993.7.15新いば/930717/アルタキ/94- 1-25/

/つくば市民会議/

/684/つくばしみんかいぎ/イベント/

/つくば青年会議所主催の第6回つくば市民会議は、1993.10.24に9:00からつくばインフォメーションセンターで開かれる。オープニングの自然生太鼓に続き、一色史彦?氏の「つくばの誇れるもの」、松田妙子氏の「これから求められるライフスタイル」の二つのレクチャー、「つくばらしさの中の筑波山」をテーマとしたパネルディスカッション、「筑波山と霞ヶ浦(水)」、「筑波山の裾野としてのつくば」と題した二つの市民会議と盛りだくさんの内容になっている。/つくば青年会議所事務局/0298-57-3981/1993.10.21常陽/931024/アルタキ/94- 1-25/

/つくば市民会議/

/685/つくばしみんかいぎ/

/つくば青年会議所(大木?毅)が主催するつくばのまちづくりを考える会議。1991.9.22に行われる会議が4回目。これまではパネルディスカッションだけだったが、4回目からは市民提言を取り入れることにした。第4回のテーマはごみ問題。近藤次郎元国立環境研究所長の特別講演、銅製年会議所が作成したつくばのごみ事情のビデオを上映。このあと市民提言を行い、関係者がコメントする予定。/1991.7.5常陽/94- 1-25/

/つくば市民会議/

/686/つくばしみんかいぎ(補)/

/つくば青年会議所(中山正巳理事長)の主催で行われる市民会議。「第5回つくば市民会議−つくばらしさを考えたこれからの地域開発」は「つくばでできる(求められる)こんな住まい方」をテーマに生活にかかわる身近な問題を取り上げて、1992.10.10から10.18までの4日間、ノバホールとつくばインフォメーションセンターで行われた。市制施行5周年記念参加事業途として4つの分科会、全体会、特別参加事業の3部門で構成されている。「これからのつくばの足」と題した都市交通分科会では首都圏新都市鉄道の渡辺邦光常務と東京都立大学の秋山哲夫助手が講演。他に社会福祉分科会「60裁からのつくばライフ」、農業分科会「農との共生は可能か」、市民文化分科会「市民文化は市民の交流から」も行われた。全体会ではNHK元報道局長磯村尚徳氏の基調講演「世界の都市文化とつくば」とパネルディスカッション「つくばでできるこんな住まい方」が、特別参加事業では早稲田大学の寄本勝美氏の講演会「現代のゴミ問題・住民と行政の役割」と市民劇団アルテの公演会「ミュージカル・星の王子様」が行われた。/1992.10.11朝日/94- 1-25/

/つくば市民会議/

/687/つくばしみんかいぎ(補)/

/(社)つくば青年会議所主催の市民会議。第4回は「今地球が危ない!青い地球、きれいなつくばを子孫に渡せるだろうか」をテーマに1991.9.22にノバホールで開かれた。会場には主婦や環境グループ、学生ら約400人がつめかけた。当日はビデオ放映、スライド上映のほか、「21世紀の地球環境」と題した近藤次郎・日本学術会議会長の講演があり続いて市民10人の提言と討論会が行われた。問い合わせ:同会議所市民会議係TEL57-3981、FAX57-3338/1991.8.23常陽、1991.9.7東京/94- 1-25/

/つくば市薬師土地区画整理事業/

/688/つくばしやくしとちくかくせいりじぎょう/開発/

/組合施行の土地区画整理事業の名称。つくば市大曽根の薬師地区(旧大穂町北東部、東大通りの東側)約6.9haが対象地区である。1990.2に組合が設立され、1993.1.22に完工式が行われた。組合員は根本七郎理事長以下58人。総事業費は約830百万円。組合では1993.3から約5,500uの保留地の処分を開始する予定。/1993.1.23茨城/930224/アルタキ/94- 1-25/

/つくば市谷田部地域開発対策連合協議会/

/689/つくばしやたべちいきかいはつたいさくれんごうきょうぎかい/

/@会長は飯泉誠吾。つくば市谷田部地区の4住民組織の連合体で1991年5月に結成された。金田・中根台地区常磐新線開発対策協議会はオブザーバーで参加している。A1991.5.22の幹事会でつくば市真瀬の鎌倉集落(対策協議会は未設置)の住民代表が協議会への加入を表明し認められた。鎌倉集落では早急に協議会を設置する方針である。B島名地区開発反対連絡協議会、つくば市旧谷田部地区常磐新線・沿線開発対策協議会、つくば市葛城南部・小野川西部開発対策協議会、葛城地区常磐新線沿線開発対策協議会。C1991.5.31に倉田つくば市長、竹内茨城県知事に計画の白紙撤回を求める要求書を提出した。D1991.6.3付けで「連合会報」の第1号を発行した。/@1991.5.22読売A1991.5.21茨城B1991.5.24東京C1991.6.1各紙D1991.6.14新いば/94- 1-25/

/つくば秀英高校/

/690/つくばしゅうえいこうこう?/施設/

/財団法人温習塾創設準備財団がつくば市島名に計画する全日制私立普通高校。一学年240人の規模で、1994.4の開校を予定している。「自主・博愛・創造」を建学精神として帰国子女の積極的な受け入れ、海外研修やホームステイの導入などを通し、国際的に活躍する人材育成を目指す。/1992.12.15読売/930106/アルタキ/94- 1-25/

/つくば賞/

/691/つくばしょう/

/茨城県科学技術振興財団が県内で優れた成果をあげた研究者に贈る賞。つくば奨励賞の兄貴分。授賞者には賞状、純銀メダルと副賞として500万円が贈られる。1991.11.25には第3回つくば賞の授賞者が発表され、1991.11.26に授与式が行われた。第3回つくば賞はジョセフソンコンピューターを開発した工業技術院の高田進室長ら7人のグループに与えられた。→つくば奨励賞/1991.11.26朝日/94- 1-25/

/つくば障害児の発達を考える/

/692/つくばしょうがいじのはったつをかんがえる/

/障害児の発達と福祉をともに考える雑誌をめざし、1992.1.25からつくば障害児の発達を考える会が発行している機関誌。第1号はB5判30ページ1部300円。年6回発行する予定。編集責任者は百渓英一さんは「地域の問題をきちんと整理し、解決への方向を考える媒体にしたい」と話している。/1992.3.17茨城/94- 1-25/

/つくば障害児の発達を考える会/

/693/つくばしょうがいじのはったつをかんがえるかい/組織/

/1993.3.29にアリーナ計画の総合福祉センターへの見直しを求める要望書を木村市長あてに提出した。代表世話人は百渓百合子。/1993.3.30/930415/アルタキ/94- 1-25/

/つくば障害児の発達を考える会/

/694/つくばしょうがいじのはったつをかんがえるかい/

/障害児の健全な発達を考えていこうと障害児の親たちが教育・福祉・医療の専門家と連携して1991.10に発足した団体。会員は約60人。毎月勉強会を開くほか、セミナーも開催している。1992.1には機関誌「つくば障害児の発達を考える」の発行を始めた。事務局は百渓英一。??-6399。/1992.3.17茨城/94- 1-25/

/つくば奨励賞/

/695/つくばしょうれいしょう/

/茨城県科学技術振興財団が県内で優れた成果をあげた研究者に贈る賞。つくば賞の弟分。授賞者には賞状、純銀メダルと副賞として100万円が贈られる。1991.11.25に第2回つくば奨励賞の授賞者が発表され、1991.11.26に授与式が行われた。第2回つくば奨励賞は新しい甘味料「エリスリトール」の生産技術を開発した食品総合研究所の春見隆文室長と負荷(??)イオンを発生させる装置を開発した高エネルギー物理学研究所の森義浩助教授が授賞した。→つくば賞/1991.11.26朝日/94- 1-25/

/つくば食事典'92/

/696/つくばしょくじてん'92/

/つくば食ガイド発行事務局(坂本幸一代表、つくば市竹園1丁目、つくばインフォメーションラボ内)が作成したつくば市とその周辺の印象句点の飲食店のガイドブック。1991.2に刊行された91年版の第2弾。今回は前回の和食、洋食、中華、学生の4ジャンルに、酒肴、喫茶、周辺の店の3ジャンルを加え210店舗が紹介されている。掲載にあたっては前回と同様に2,000通のアンケート調査と8人の覆面モニター現地調査を基に決めたという。A5版、148頁で一部1,000円(税込み)。問い合わせ:同事務局、52-0334/1991.12.21毎日/94- 1-25/

/筑波書林/

/697/つくばしょりん/Tsukuba Shorin/

/地元にこだわりを持ち続けている出版社。あの「長靴と星空」「続・長靴と星空」「エプロン議員と筑波ルネッサンス」はこの出版社から発行された。/土浦市港1-4-12/TEL:24-3664/M:S1E9/94- 1-25/

/つくば市立中央図書館/

/698/つくばしりつちゅうおうとしょかん(補)/

/副館長は野田尚武。1990.6.9〜1991.6.8の利用状況は貸し出し数722,059冊、貸し出し人数236,274人。市民一人当たり4.96冊の貸し出しとなり、貸し出し数、市民一人当たりの貸し出し数は県内一の水準といえる。これは都心部の立地し、催事が多く、人が集まりやすい複合施設であるアルスの効果ともいえる。/94- 1-25/

/つくば市立つくば中央図書館(仮称)/

/699/つくばしりつつくばちゅうおうとしょかん/Tsukuba Central Library/

/1990年6月にオープンするつくば文化会館アルスの中の図書館のこと。3,000u程度の延べ床面積を持つ。地元6か町村(当時)の強い要望に基づく施設であることから茎崎町民にも開放された図書館となるようにサービス計画が立案されている。開館が待ち遠しい。この事典も並べてくれるかな?。/つくば市吾妻2丁目/TEL:______/M:N1W1/94- 1-25/

/つくば新党/

/700/つくばしんとう/

/「つくばに民主主義を打ち立てよう」と政治の素人市民たちが集まって結成した政党。1992.11.8に告示されるつくば市議選に3人の新人候補を擁立することになった。一切の利権団体と結びつかず、深刻な政治姿勢をとらず、だれもが参加できるフランクな政党で、付加価値の高いイベントやメディアを企画し、文化的クオリティーの高い政治活動の展開などを目指している。市議選にはジャズ・ライブハウスの経営者(37)のほか今春国立環境研究所を退職した無職男性、礼儀作法講師の女性(70)が出馬を固めた。つくば新党が旧態依然のつくば型選挙に新風を巻き起こすかどうか注目される。/1992.10.20常陽/94- 1-25/

/筑波新都市開発株式会社/

/701/つくばしんとしかいはつかぶしきがいしゃ/Tsukuba New Town Development Co.,Ltd./

/筑波研究学園都市のまちづくりは国を中心に様々な役割分担の中で進められているが、その中で移転機関職員等の居住環境の維持のために生活利便サービスを提供することを担っているのがこの会社である。いわゆる第三セクターであり、官・民が50:50の出資で構成されている。株式は住宅・都市整備公団、茨城県、つくば市、茎崎町が50%、政府系長銀3行、地元銀行、公益事業、生命保険、損害保険等が50%を保有している。設立は1973年。社長は吉田泰夫。本社はつくば市竹園1丁目公団ビル2階。社員数約80名。現在はクレオや住区のショッピングセンターの運営、つくばセンタービルの管理、学園都市の公共・公益施設の管理運営業務を事業の中心としている。特に学園都市の中心地区の整備は会社の重要な課題の一つである。なお、会社は第三セクターの性格上、公益性の高い生活利便サービスの提供を先行的に行うことなど、幅広い業務を行うこととしている。/つくば市竹園1-1387/TEL:52-1111/M:N1E1/94- 1-25/

/筑波実験植物園/

/702/つくばじっけんしょくぶつえん/Tsukuba Botanical Garden, National Science Museum/

/94- 1-25/→国立科学博物館筑波実験植物園/

/筑波自転車道(補)/

/703/つくばじてんしゃどう/

/1992.9下旬に第一期工事分としてつくば市北条地区の2.6km区間の工事をスタートさせた。2000年の全線開通を目指している。/1992.11.10茨城/94- 1-25/

/筑波自転車道/

/704/つくばじてんしゃどう/

/岩瀬土浦自転車道の略称/1992.6.17新いば/94- 1-25/

/筑波自転車道/

/705/つくばじてんしゃどう/施設/

/1993.4の中旬につくば市北条の田園地帯を走る部分の2.6kmが共用開始されることになった。開通にあわせ、沿線市町村でつくる「筑波大規模自転車道建設期成同盟会(会長・平間小四郎真壁町長)はこの自転車道の愛称を小中学生から学校を通じて1993.3.19まで公募した。全線開通は2000年の予定。/1993.3.15茨城/930415/アルタキ/94- 1-25/

/筑波ジャーナル/

/706/つくばじゃーなる/Tsukuba Journal/

/筑波学生新聞の向こうをはって創刊された月刊新聞。おもに学生向けの記事が多い。/94- 1-25/

/つくば循環バスシステム研究会/

/707/つくばじゅんかんばすしすてむけんきゅうかい/(?)/

/つくば市内の地域格差緩和、行政機関・病院・教育文化施設へのアクセスなど、つくばの抱える交通問題を解決するために、筑波研究コンソーシアムの河本専務理事を代表世話人として1988年7月に発足した研究会。現在、4つの研究グループに分かれ、具体的な提案に向けて精力的な活動に入っている。/94- 1-25/

/筑波情報ビジネス専門学校/

/708/つくばじょうほうびじねすせんもんがっこう/?/

/土浦市にある専門学校。/土浦市川口2-12-31/TEL:24-3241/M:N1E9/94- 1-25/

/筑波情報ビジネス専門学校(改)/

/709/つくばじょうほうびじねすせんもんがっこう/

/Tsukuba Information Business College、土浦市にあるコンピュータとビジネスの専門学校。土浦市川口2-12-31、TEL:24ー3241 Map:N1E9/1991.12.29返信/94- 1-25/

/つくば常陽懇話会/

/710/つくばじょうようこんわかい/イベント/

/第14回例会が1993.6に銀座東急ホテルで開かれ、元自治大臣葉梨信行代議士が「地域と政治について」と題して講演した。/1993.6.17常陽/930807/アルタキ/94- 1-25/

/つくば人材情報センター/

/711/つくばじんざいじょうほうせんたー/

/茨城県が、退職研究者への再就職情報の提供を行う目的で、1992年度から発足を予定している組織。つくば研究支援センター内に設置され、非常勤嘱託の「人材コーディネーター」一名が配置され、退職研究者と地元企業の橋渡しをする考え。当面は退職研究者や地元企業の情報調査を行うが、いずれ職業相談を行うことになっている。/1992.3.24読売/94- 1-25/

/つくば人材情報センター(改)/

/712/つくばじんざいじょうほうせんたー/

/茨城県が、退職研究者への再就職情報の提供を行う目的で、1992年5月から発足を予定している組織。つくば研究支援センター内に設置され、情報処理などの事務を行う非常勤嘱託の「人材コーディネーター」一名が常駐し、退職研究者へアンケート調査、地元企業の情報調査、退職研究者の地元企業への紹介など研究者と企業との橋渡しをする計画である。実際の再就職先のあっせんは職業安定所を通じて行うことになる。/1992.3.24読売、1992.4.23日経/94- 1-25/

/つくば人材情報センター(補)/

/713/つくばじんざいじょうほうせんたー/

/1992.5.20に開設された。人材コーディネーターには前つくば市総務部長の花開孚雄氏が迎えられた。問合せは同センターへ38-6019。つくば市千現2丁目、つくば支援センター内。/1992.5.20新いば/94- 1-25/

/筑波西部工業団地/

/714/つくばせいぶこうぎょうだんち/Tsukuba Western Industrial Park/

/科学万博跡地につくられた茨城県施行の工業団地。事業期間は1981年〜86年。地区面積101.5ha。2,030万人が訪れた科学万博の面影を残すものは、ヤマザキマザックにある迎賓館のみとなったが、ジャンボトロンのあったぽっかりが丘やぼっちゃん湖などは万博記念公園としてよみがえり、公園の入口には当時の政府館をモチーフにした科学の門が造られた。立地企業数15社/M:S2W4/94- 1-25/→資料:筑波西部工業団地/

/つくばセンター交通広場/

/715/つくばセンターこうつうひろば/Tsukuba Center Terminal/

/筑波研究学園都市の交通の中心になって行くはずの施設。14のバスバースとタクシープール(自家用車と兼用)がある。東京駅八重洲口との直通バスはここから発着する。/M:N1W1/94- 1-25/

/つくばセンター自転車駐輪場(仮称)/

/716/つくばせんたーちゅうりんじょう/施設/

/つくば市が同市吾妻1丁目に1993、94年度に建設する自転車置き場。1995年度共用開始の予定。駐車場予定地はつくば公園通り下の盛土部分で、高架化して延長60メートルにわたって二段ラック式の施設を置き、990uの駐輪場を整備する。運営・管理方法・利用料金などについては未定で、今後、条例の制定を含めて検討される。/1992.12.18読売/930106/アルタキ/94- 1-25/

/つくばセンターテニスパーク/

/717/つくばせんたーてにすぱーく/Tsukuba Center Tenniss Park/

/つくばの都心地区のど真ん中にある緑に囲まれたナイター完備のテニスパーク。人工芝の全面に砂をひいた本格的なオムニコートが10面ある。また、ひときわ目を引くパステルピンクの三角型クラブハウス「トライアングル」では食事はもちろんシャワーも使えるので、とってもリッチ。東京方面の客を呼ぶため、第一ホテルの宿泊とセットになったテニスパックもある。また、新企画として、英会話とテニスが一緒に学べるという一石二鳥のテニススクールもある。コート使用料:1面2時間平日:3,000、土日祝:5,000円。/つくば市吾妻2ー4/TEL:51-1178/M:N1W1/94- 1-25/

/つくばセンタービル/

/718/つくばせんたーびる/Tsukuba Center Building/

/1983年6月竣工。延べ床面積32,902uの複合施設。ノバホールつくばインフォメーションセンター、筑波第一ホテル、吾妻公民館、銀行、アイアイモール、オフィス等がある。計画当時、中心地区にはNTTの高いビルしかなかったが、中心地区を都心として整備していくためには、都市のシンボルとなり、人々が集う施設が必要という結論が出された。建築が街並をつくることを強く意識したのか、設計はポストモダンの磯崎新(あらた)。当時はまだポストモダンが海のものとも山のものともわからない時代ではあったが、磯崎アトリエを選定した先見性は大いに評価されるものである。1983年度BCS賞授賞。東京お茶の水に、つくばセンタービルと全くそっくりのお茶の水スクエアビルがある。びっくり。/つくば市吾妻1-1364-1/M:N1E1/94- 1-25/

/つくばターミナル/

/719/つくばたーみなる/Tsukuba Terminal/

/つくばセンター交通広場の前にある4本のボールト屋根のある2階建てのビルの名前。1985年3月竣工。待合室と関東鉄道の案内所、つくば市桜観光協会の案内所(喫茶部もある)、JRつくば旅行センターが入居している。科学万博当時は、まちとすまい館として住宅・都市整備公団の紹介をしていた。設計は大高正人建築設計事務所。管理はつくば都市交通センター(財)が行っている。/M:N1W1/94- 1-25/

/筑波第一ホテル/

/720/つくばだいいちほてる/Tsukuba Dai-ichi Hotel/

/樺}波学園ホテルが経営するホテル。つくばセンタービルのうち、11階建ての建物が筑波第一ホテルで、客室数は115室。スイート・ルーム1室、デラックス・ツイン23室、ツイン・ルーム24室、シングル・ルーム67室。1階のベーカリーショップ(イングリッシュブレッドが美味しい)や11階のスカイラウンジに人気がある。宿泊するならぜひ一度スウィートルームにしてみたい。/つくば市吾妻1ー1364-1/TEL:52-1112/M:N1E1/94- 1-25/

/筑波大学/

/721/つくばだいがく/University of Tsukuba/

/筑波研究学園都市の中にある広さでは広島大学に次いで第2位の大学。1973年10月開学。実際には1974年から新入生が入り、1977年に全部の学群が揃った。管理大学、文部省大学と言われるほど学生に対する規制は厳しいという評価はあるが、実際には筑波特有のキャンパスライフスタイルを形成しており、普段、学生たちが規制に苦しむということはない。しかし、生協がないなど普通の大学の出身者にとっては不可解である。日本のUCLA的な存在と言われていた。面積245ha。/つくば市天王台1-1/TEL:53-2111/M:N4W1/94- 1-25/

/筑波大学/

/722/つくばだいがく/イベント/

/開学20周年を記念して「筑波大学−新たなる挑戦−」と題したシンポジウムを1993.10に大学会館で実施し、約300人の参加者を集めた。基調講演は天満美智子津田塾大学長、有馬朗費と法政大教授、山本卓眞?富士通会長、J・F・ステュイック・タイヤンディエ仏科学研究庁国際関係局長が行い、パネリストは江崎学長、村上筑波大企画調査課長、諸井秩父セメント会長、大越孝敬産業技術融合領域研究所長だった。/1993.10.8産経/931105/アルタキ/94- 1-25/

/筑波大学共同研究開発センター/

/723/つくばだいがくきょうどうけんきゅうかいはつせんたー/予算要求/

/産官学の共同研究を推進することを目的に大学構内に設置することを計画中の施設。施設面積は4,262uで最先端科学技術を研究し、民間企業などの技術者に対する技術教育や研究者交流を実施するほか、民間企業などに学術情報を提供する。茨城県は、国の来年度予算に対する12の新規事業の要望項目の一つとすることを1993.6.22に決めた。/1993.6.23日経/930717/アルタキ/94- 1-25/

/筑波大学研究交流シンポジウム/

/724/つくばだいがくけんきゅうこうりゅうしんぽじうむ/

/「つくばが目指す未来の研究」をテーマに1992.6.29に大学会館ホールで行われた筑波大学主催のシンポジウム。学内のほか公立・民間の研究機関の代表や研究者約500人が参加した。就任したばかりの江崎玲於奈学長による大学の特色づくりの一環として開かれた。つくばでの研究交流は官民双方で進められているが、筑波大学を核としたものは今回が初めて。冒頭に江崎学長の話があり、さらに「バイオサイエンス(生物科学)」「環境」「先端技術と基礎科学」をテーマにパネル討論が行われた。/1992.6.30茨城/94- 1-25/

/筑波大学新聞/

/725/つくばだいがくしんぶん/?/

/筑波大学が月1回発行する新聞。無料ということでかなりの学生が読んでいる。スカッシュギャルのコーナーは男子学生必見である。ちなみに、大学新聞の編集方針に反発して外に飛び出したのが筑波学生新聞。/94- 1-25/

/つくば大事典友の会(仮称)/

/726/つくばだいじてんとものかい/

/つくばファンクラブの活動を支援・応援する市民グループ。カンパ、原稿執筆、資料収集など労多くして益のないことを楽しく行う。参加、脱退自由。特典無し。つくばファンクラブ友の会ともいう。/1991.1.22ARU/94- 1-25/

/つくばダウン症児親の会/

/727/つくばだうんしょうじおやのかい/組織/

/1993.3.29にアリーナ計画の見直しを要求する要望書を木村市長あてに提出した。会長は児玉尚子。/1993.3.30常陽他/930415/アルタキ/94- 1-25/

/つくばテクノタウン/

/728/つくばてくのたうん/

/民間のニッポ・サービス(本社・東京都港区)と塚田陶業(本社・新治村)の共同企業体がつくば市高野、百家地区で進めている大規模住宅開発事業。近くにあるつくばテクノパーク豊里や研究学園都市内の研究者などを対象にした定住性の高いニュータウンを目指した開発で、県道明野谷田部線を挟む山林約33haを開発地区とし、一戸建て住宅を主体に3階建て集合住宅を配し、計画戸数約800戸、計画人口約2,800人を擁する計画である。この計画は市総合計画に定められている23地区の大規模開発計画の一つに含まれているため、1989年につくば市都市計画審議会で立地判断され、1992.3末には県からつくば市内の住宅開発事業の事前協議承認としては第一号の承認を受けている。/1992.6.25常陽/94- 1-25/

/つくばテクノパーク大穂/

/729/つくばてくのぱーくおおほ/Tsukuba Techno Park Ooho/

/大砂(大穂地区)で住宅・都市整備公団が行った工業団地造成事業。事業期間1985〜89年、面積41.4ha。/M:N8W4/94- 1-25/→資料:つくばテクノパーク大穂/

/つくばテクノパーク桜/

/730/つくばてくのぱーくさくら/都市開発/

/研究所用地の第一次分譲が1993.2.4から始まった。第一次は3区画で、それぞれ1.8ha(約15億円)、2.8ha(23億円)、1.4ha(約12億円)。1u当たり82,000〜89,000円である。受付は1993.2.10まで。/公団つくば開発局総務部宅地管理課/0298-52-2030/1993.1.24朝日/930224/アルタキ/94- 1-25/

/つくばテクノパーク豊里/

/731/つくばてくのぱーくとよさと/Tsukuba Techno Park Toyosato/

/手子生(豊里地区)で住宅・都市整備公団が行う工業団地造成事業。事業期間1985〜88年、面積69ha。/M:N4W8/94- 1-25/→資料:つくばテクノパーク豊里/

/筑波鉄道筑波線/

/732/つくばてつどうつくばせん/Tsukuba Railway Tsukuba Line/

/1987年3月31日に廃止された土浦−岩瀬間の単線鉄道。筑波鉄道は関東鉄道の子会社であった。上野駅から国鉄(当時)常磐線を通って、土浦駅で筑波鉄道に乗り入れ、筑波駅に至る直通列車が走ったこともあった。筑波山観光には欠かせない足であっただけでなく、通学の高校生や自家用車を持たない人の貴重な足であったが、マイカー時代の波には勝てず、大赤字を残して廃線となり、バスに振替輸送された。一両編成のディーゼルカーが田園風景の中をゴトゴト走る姿には郷愁をそそるものがあり、平日の昼間、ほとんど空っぽの列車が走る姿に涙せずにはいられなかった。/94- 1-25/

/つくばですよ/

/733/つくばですよ/Tsukuba Desuyo/

/以前JAMJAMの編集に携わっていた3人の筑波大生が編集発行した、科学万博と学園都市のガイドブック。他のガイドブックのように万博が始まる前に資料だけで作ってしまうようなガイドブックではなく、実際に自分たちの目で見て体験して作ろうという編集方針のもとできあがった。また、ページの半分は学園都市のお店紹介など街のガイドブックになっており、万博終了後の利用価値も大きかった。惜しむらくは、会期があと1か月半と押し詰まった7月31日にようやくできあがったことである。値段は450円で、学園都市内外の書店で販売された。/94- 1-25/

/つくば・二の宮第二団地/

/734/つくばにのみやだいにだんち/

/住宅・都市整備公団が二の宮4丁目13-1に建設した賃貸住宅。RC5階建てで1LDK〜3LDKまで3タイプ、60戸。入居時家賃は68,400円〜100,100円。12月中旬入居予定。つくば・春日団地と同時に1992.10.3〜10.11まで現地で申し込みを受け付けた。問合せ:住宅募集センター03-3347-4375、茨城住宅管理協会51-3441/1992.10.1産経/94- 1-25/

/ツクバニュース/

/735/つくばにゅーす/

/つくば市国際交流課が市内に住む外国人のために1991.9.27に発行した県内初の市報の英語版。B4版両面印刷で1,000部作成。筑波大学や各支所住民窓口、つくばインフォメーションセンター、国際協力事業団に置いてある。第1号は月2回の市報を1回にまとめてあり、翻訳は1991.8に県内の市町村初の国際交流員として同市に招かれた日系カナダ人のローレンス・ヤマモトさんが当たった。/1991.9.28読売/94- 1-25/

/つくば熱帯林を考える会/

/736/つくばねったいりんをかんがえるかい/組織/

/筑波大学の熱帯林研究会の有志で作る組織。代表は細淵美代子。1993年3月の定例市議会に「熱帯林の保全に関する誓願」と「熱帯林の保全に関する誓願」を提出した。/1993.3.10朝日/930403/アルタキ/94- 1-25/

/つくばの交通をどうするか/

/737/つくばのこうつうをどうするか/会議名/

/1992.11.26につくばインフォメーションセンターで行われたシンポジウムのタイトル。主催はつくば都市交通センター、出席者数は約80人。/1992.11.27朝日、常陽/930106/アルタキ/94- 1-25/

/筑波の友/

/738/つくばのとも/Tsukuba no Tomo/

/慨TEPの発行するミニコミ誌。1986年8月創刊。毎月15日発行。1部送料とも200円。筑波研究学園都市の日常の情報、居住者の考え方や海外レポートを載せている。学園都市の書店で販売。/潟Xテップ/TEL:58-0376/94- 1-25/

/つくばの昼会/

/739/つくばのひるかい/Lunch Time Meeting in Tsukuba/

/正体不明のつくばのつくばによるつくばのための研究会。会員は4名。なお、その4名はつくばファンクラブの会員を兼ねている。第1回だけはつくばの朝会だったが、Mr.Aの寝坊のため第2回から昼会になった。/94- 1-25/

/筑波ハイテクフォーラムパーク/

/740/つくばはいてくふぉーらむぱーく/地名/

/つくば市、下妻市、明野町にまたがる約408haの大規模複合開発計画。筑波ハイテクフォーラムパーク(本社・つくば市、資本金4億円)が進めている計画である。組合施行の土地区画整理事業を予定しており、まず下妻市高道祖の約70ha、地権者数約180人の組合設立準備委員会設立披露が1992.12.6に高道祖市民センターで行われることとなった。準備委員は端敏男会長ら14人で構成され、組合設立に向けての準備にあたる。事業は97年度着工、99年度共用開始を目指すという。/1992.12.4朝日/930106/アルタキ/94- 1-25/

/筑波ハイテクフォーラムパーク/

/741/つくばはいてくふぉーらむぱーく/組織名/

/東急不動産、三井不動産、伊藤忠商事など民間大手14者が1989.6に設立したデベロッパー。本社はつくば市竹園1丁目、社長は沢田淳一。/1992.12.5いばらき/930106/アルタキ/94- 1-25/

/つくば博/

/742/つくばはく/Tsukuba Haku/

/94- 1-25/→国際科学技術博覧会/

/筑波ハム/

/743/つくばはむ/Tsukuba Ham/

/谷田部地区で生産している手作りハム。新鮮でおいしく、地元ではかなり有名。西武百貨店でも買える。他に「学園手作りハム」というのもある。/つくば市下平塚356ー1/TEL:56-1953/M:N2W3/94- 1-25/

/つくば美術文化の会/

/744/つくばびじゅつぶんかのかい/(?)/

/鷹巣氏が中心になって活動している文化団体。科学万博の期間中にGARAーアートを中央公園脇(現、つくば文化会館アルス)に建設し、美術品の展示を行った。/つくば市千現1-18-17/TEL:55-2929/94- 1-25/

/Tsukuba Beautiful/

/745/つくばびゅーていふる/Tsukuba Beautiful/

/いいまちはいい人をつくる、いい人が美しいまちをつくる、みんなが美しくなれば、まちはきっと美しくなる、という4つの原則のもとに、殺伐としたつくばを美しくしようとする運動。ソフト&セーフと同じのりの1980年代のつくばの柔らかなまちづくりムーブメント。/94- 1-25/

/筑波病/

/746/つくばびょう/Tsukuba Syndrome/

/@ 筑波研究学園都市を好きになってしまう病気。街づくりに参加した人のほとんどがこの病気にかかる。筑波研究学園都市のためなら命をかけるという症状が現れる。一種の風土病であり、雰囲気により伝染する。A 「筑波研究学園都市にいると阻害されたと思い込み、自殺してしまう精神的な病気をいう。」とどこかのマスコミが解説しているが、本当に都市のせいなのか、それとも研究者の性なのか実証した人はいない。/94- 1-25/

/筑波病/

/747/つくばびょう(補)/

/@児童、幼児の発達心理学上の特異現象(筑波に固有)として、量、質量、体積の概念を一時に獲得する現象(筑波大学の教官の研究例あり)。Aもっとふざけた意味で、都市機能充実前に専業主婦(特に子供のいない)が週に一度は東京の繁華街(原宿など)に外出しないと不安になり、落ちつきをなくす現象。/小沢丈夫/94- 1-25/

/つくばファンクラブ/

/748/つくばふぁんくらぶ/Tsukuba FUN Club/

/筑波研究学園都市に出没した幻の勉強会。つくばの昼会を母体として結成されたつくばが好きな人の集まり。まちづくりや都市計画に携わる青年たちが、筑波研究学園都市とはなにかをテーマに議論をしたり、筑波研究学園都市に勝手にエールを送ったりしている。この事典もこのクラブが執筆しているんだぞっと。入会資格は、会員を探し出して、何とか例会に出席して、素晴らしい意見を発表して、会員全員の同意を得なければならない。会員の義務は、役に立つことである。/つくば市吾妻1丁目筑波学園郵便局私書箱113号/TEL:52-3722(留守電・FAX自動切替)/94- 1-25/

/つくばファンクラブ友の会(仮称)/

/749/つくばふぁんくらぶとものかい/

/つくばファンクラブの活動を支援・応援する市民グループ。カンパ、原稿執筆、資料収集など労多くして益のないことを楽しく行う。参加、脱退自由。特典無し。つくば大事典友の会ともいう。/1991.1.22ARU/94- 1-25/

/つくばフェスティバル'92(補)/

/750/つくばふぇすてぃばる'92/

/つくばフェス実行委(会長・木村操市長)が1992.9.5〜6まで「宇宙との出会い」をテーマにつくばセンタービル周辺をメイン会場に開くイベント。今年で4回目。「月の石」の展示、宇宙食の試食、市内の小学生の描いた未来のロケット宇宙絵画展などのほか、地球環境問題のコーナー、国際交流フェアも催される。/1992.9.1常陽、9.1茨城/94- 1-25/

/つくばフォーク村/

/751/つくばふぉーくむら/Tsukuba Folk Village/

/筑波大学の芸術系サークルの一つ。独自の音楽活動を始め、地元のたこあげ大会、のど自慢大会、もちつき大会などにスタッフとして参加している。「困ったときのフォーク村だのみ」と言われるように、イベント開催時、何かもう一つ欲しいときには一度頼んでみても良いかもよ。問合せ:筑波大学芸術系サークル会館内(5時以降がよい)/94- 1-25/

/つくばふれあいコンサート'93/

/752/つくばふれあいこんさーと/イベント/

/つくば国際音楽祭の一環として開かれたイベント。1993年はつくば市北条の第二圏民センターでつくば市立筑波東中、筑波西中の両中学校の生徒約1,000人を招いて行われた。ウィーン・ビーダーマイヤー・ゾリスデンの第1バイオリンのハンス・グレッツァーらが参加した。/つくば国際音楽祭実行委員会/305/つくば市吾妻1-2-5/0298-52-5512/1993.10.20新いば/931024/アルタキ/94- 1-25/

/筑波ふれあいの里/

/753/つくばふれあいのさと/Tsukuba Fureaino Sato/施設/

/筑波山の中腹、つくば市臼井にある滞在型観光施設。筑波山のふところで自然を満喫し、農業とのふれあいを深めてもらおうと、1989.7につくば市が整備した。工芸品の展示と工芸や野菜づくりを農家の人に教えてもらえ、宿泊施設も備えられた「農林漁業体験実習館」、小川沿いの水車小屋でひかれたそば粉でそば打ちを体験できる「郷土文化保存伝習施設」、筑波山の歴史と自然を紹介する展示館、「冒険広場」と名付けたフィールドアスレティックなどがある。全体の面積は約20ha。施設整備は現在も進行中で、コッテージやローラー滑り台などが1993.7に完成する。/1993.5.27いばらき/930609/アルタキ/94- 1-25/

/つくば文化会館アルス/

/754/つくばぶんかかいかんあるす/Tsukuba Cultural Hall ALS???/

/1990年6月8日、吾妻2丁目にオープンした文化施設の愛称。住宅・都市整備公団が建設を行った。美術館(茨城県近代美術館分館つくば美術館、管理は茨城県)と図書館(つくば中央図書館、管理はつくば市)で構成される。つくば文化会館アルスという名称は1990年3月に公募でつけられた。「アルス」はラテン語で芸術という意味。延べ床面積は約5,900u。設計は大高・石本設計共同企業体。/つくば市吾妻2丁目/TEL:__-____/M:N1W1/94- 1-25/

/つくばヘリポート/

/755/つくばへりぽーと/

/@1991年7月23日供用開始を目標に1990年9月からつくば市上境に総工費780,000千円をかけて建設が進められている茨城県内初の公共用ヘリポート。敷地規模は14,064u。飛行場内には大型機1機と中型機1機が着陸できるバース、RC造2階建てのターミナルが建設されている。また、1991年度内には格納庫も建設される予定。当面は研究機関の研究者や工業団地の経営者などの利用が見込まれ、県では1日平均3回の利用があるものとみている。将来は北関東3県と東京を結んだ定期航路化も検討しているが、「有視界飛行」となっているヘリコプターの運行基準を「計器飛行」も認めるよう国に働きかけるため、北関東3県と運輸省で北関東地域ヘリコプター・コミューター推進協議会(会長・川崎広二茨城県企画部長)が1991年4月に設置された。AJR土浦駅から16km、つくばセンターから8km、常磐自動車道土浦北インターから11km、桜・土浦インターから13km。着陸帯、滑走路ともに長さ35m、幅30m。離着陸できる機体は全長26m以内で最大離陸重量9t以内。運用時間は7:00〜19:00。茨城県交通・産業立地課が設置し管理は県企業局が行う。/@1991.5.21産経A1991.6.21新いば/94- 1-25/

/つくばヘリポート(改)/

/756/つくばへりぽーと(改)/

/@1991年7月23日に共用開始した茨城県内初の公共用ヘリポート。1990年8月11日に着工し、総工費780,000千円をかけてつくば市上境に建設された。敷地規模は約3.1ha。うちヘリポート区域は14,064u。飛行場内には大型機用1バースと中型機用1バース、RC造2階建て延べ床面積344uの管理棟、700uの格納庫が建設されている。運行時間は午前7時から午後7時または日没。当面は研究機関の研究者や工業団地の経営者などの利用が見込まれ、県では1日平均3回の利用があるものとみている。将来は北関東3県と東京を結んだ定期航路化も検討している。また、「有視界飛行」となっているヘリコプターの運行基準を「計器飛行」も認めるよう国に働きかけるため、北関東3県と運輸省で北関東地域ヘリコプター・コミューター推進協議会(会長・川崎広二茨城県企画部長)が1991年4月に設置された。問合せ:茨城県企業局つくばヘリポート管理事務所、つくば市上境992番地、TEL:57-7515、FAX:57-7702、AJR土浦駅から16km、つくばセンターから8km、常磐自動車道土浦北インターから11km、桜・土浦インターから13km。着陸帯、滑走路ともに長さ35m、幅30m。離着陸できる機体は全長26m以内で最大離陸重量9t以内。運用時間は7:00〜19:00。茨城県交通・産業立地課が設置し管理は県企業局が行う。B北緯 36度06分52秒、東経140度08分04秒、標高8.0m。使用料(着陸)770円〜、(駐機)450円〜/@1991.5.21産経、1992.4パンフレット、A1991.6.21新いば、B1992.4パンフレット/94- 1-25/

/筑波北部工業団地/

/757/つくばほくぶこうぎょうだんち/Tsukuba Northern Industrial Park/

/つくば市大穂地区と筑波地区にまたがって茨城県が周辺開発地区整備計画に基づき施行した工業団地造成事業。募集即完売となったため、西部工業団地と併せて茨城県のドル箱になった。かつて、科学万博の会場候補地として西部工業団地と誘致争いをしたが、結局負けてしまった。しかし、企業誘致は一足早く、19社のうち既に12社が操業を始めている(1989.3.31現在)。事業期間は1981〜86年。面積127.8ha。/M:N9W6/94- 1-25/→資料:筑波北部工業団地/

/筑波町/

/758/つくばまち/Tsukuba Town/

/筑波研究学園都市を構成する町村の一つだった。1988年1月31日につくば市と合併し、筑波地区となった。面積は77.09ku、地区内人口は22,932人(1988.10現在)。筑波山を含むこの地域は筑波米の産地としても有名。最後の町長は井坂敦実。/筑波支所/つくば市北条5060/TEL:67-3111/94- 1-25/

/つくば松代/

/759/つくばまつしろ/

/住宅・都市整備公団がつくば市松代5で分譲する民間建物付き宅地分譲の地区名。45棟。1区画当りの面積は敷地180.92〜228.29u、建物102.67〜156.58uで3LDK〜5LDK+S。価格は47,023,640〜61,595,870円。入居は12月下旬。街区内の道路すべてが居住者の憩いの空間となるようなまちづくりで、植栽も豊か。募集は1992.10.17〜10.25正午まで。問い合わせは0298-52-2032/1992.9.10.16産経/94- 1-25/

/つくば松代/

/760/つくばまつしろ/

/住宅・都市整備公団がつくば・二の宮に次いで松代5丁目に建設した分譲住宅地の第2弾。1992.9.17〜25まで募集した。民間建物付き分譲宅地方式では第3回目になる。タイプは3LDK〜5LDKまで45戸。土地は平均207uで価格は2,710万円。1u当たり約13万円。建物は延べ床面積126uで価格2.648万円(消費税込み)。総額は4,702〜6,160万円。問合せ:住宅・都市整備公団つくば開発局総務部宅地管理課、0298-52-2032。/94- 1-25/

/つくばマラソン/

/761/つくばまらそん/イベント/

/第13回つくばマラソンは1993.11.28に筑波大学陸上競技場を発着点に行われ、フルマラソン、10kmあわせて約9,000人のランナーが参加した。男子フルマラソンは2h20m8sで今村智浩が、女子では2h52m0sでベラルーシからの招待選手エレナ・ツフロが優勝した。男子10kmではステファン・マヤカ、女子は野村洋子が優勝した。また、男子10kmで80歳の松野清さんが59m43sで完走、937位に入った。/1993.11.29常陽/931226/アルタキ/94- 1-25/

/つくばマラソン(補)/

/762/つくばまらそん/

/第11回つくばマラソンは過去最多の6,816人が参加し、1991.11.24に開催された。男子10kmは1991夏の世界陸上5,000m日本代表の熊谷勝仁(ダイエー)が29分35秒(大会史上初の20分台)で初優勝した。女子は王秀霞(岡部工務店)と程双愛(岡部工務店)が33分41秒で優勝した。フルマラソンは男子はニコデマス・オンゲリ(ケニア)が2時間23分35秒、女子は実岡直美(武田薬品工業)が3時間1分12秒で優勝した。/1991.11.25読売/94- 1-25/

/つくばマラソン(補)/

/763/つくばまらそん/

/@1981年より始まった陸連公認のマラソン。科学万博の1985年にフルマラソン42.195kmを実施。現在に至る。それまでは30kmが最長レースだった。現在は男女共に42.195kmコースと10kmコースとがある。筑波の美しい自然を楽しみながら(?)走れる。毎年各地からランナーが訪れ、健脚を競う。開催日は通常11月最終日で、1992年は11月29日に行われる。A主催はつくば市、読売新聞社などで第12回大会は1992.11.29に行われる。1992年から市内を大きく1周するコースに一新することになった。出場資格はフルマラソンが5時間以内で完走できるもの、10kmの部は1時間以内とし、参加人数を先着順に男子1,000人、女子500人に制限している。参加料は2,700円。問合せ:同マラソン事務局、03-5200-3293/@1992.9.4貴伝名さんA1992.9.14読売/94- 1-25/

/つくばマラソン/

/764/つくばまらそん/Tsukuba Marathon/

/「アインシュタインと一緒に走ろう」を合言葉に1981年から始まった学園都市を一周するマラソン大会。最初は地元の住民が主体となった手作りの大会で、「筑波学園マラソン」といって、距離も30kmであったが、その後、読売新聞社が主催者として参加するようになった。1985年からフルマラソンとなり、合併した1988年からは「つくばマラソン」という名前になった。/94- 1-25/

/つくば道/

/765/つくばみち/Tsukuba Michi Approach/

/筑波山参詣道。1987年8月10日(道の日)に学園東大通りとともに日本の道百選に選ばれた。/94- 1-25/

/つくば三井ビル/

/766/つくばみついびる/Tsukuba Mitui Building/

/平成2年4月1日にオープンした業務ビル。新住宅市街地開発法に基づく特定業務施設として建設された。地上19階地下1階、高さ88mで、茨城県下で最も高いビル。最上階の19階には展望ロビーやレストランがあり、筑波研究学園都市全体はもちろん、快晴の時は富士山まで見渡すことができるので、つくばの新たな名所となった。このビルの特色としては、インテリジェントビル対応であることやセンタープラザが1階から5階まで吹抜けになっているセンタープラザが開放的であることなどである。延床面積26,796u、設計は清水建設梶B/94- 1-25/

/つくば三井ビル/

/767/つくばみついびる(補)/

/電気カミソリに見える。(本当だよ)M:S1W1/生田研一郎/94- 1-25/

/つくば名産直売所/

/768/つくばめいさんちょくばいじょ/売店/

/つくばの農家や木工品製作者などの小規模生産者30人が共同で作り上げた店舗で、1993.10頃にオープンしたもの。代表は中西慶次郎。約130uの店舗内には、国産無農薬大豆を原料に、消泡剤を使わない昔ながらの手法で作られた豆腐、有機飼料飼育の鶏肉、鬼のげんこつの実の漬物、ひのきの桶や樽などつくば市周辺の名産品がずらりと並んでいる。問合せは同直売所。0298-55-0985まで。/0298-52-0985/1993.10.22産経/931024/アルタキ/94- 1-25/

/筑波メディカルセンター病院/

/769/つくばめでぃかるせんたーびょういん/Tsukuba Medical Center Hospital/

/24時間の救急センターを持つ茨城県南の地域医療の拠点。もちろん、一般の外来も受け付けている。/つくば市天久保1-3/TEL:51-3511/M:N2W1/94- 1-25/

/筑波メディカルセンター病院/

/770/つくばめでぃかるせんたーびょういん/

/Tsukuba Medical Center Hospital、24時間の救命救急センターを持つ茨城県南の地域医療の拠点。月曜日から金曜日までは一般外来も受け付けている。総合健診センターを併設。M:N2W1/1992.2.15返信/94- 1-25/

/つくば寄席/

/771/つくばよせ/Yose at Tsukuba/

/西武百貨店筑波店が、地域との文化的交流を目的として、3〜4カ月に一度、有名落語家を招いて開催する寄席。申し込み・問合せ:筑波コミュニティ・カレッジ/つくば市吾妻1-1311-5/TEL:51ー0111-281/M:S1W1(クレオ)/94- 1-25/

/つくばらしさの創出事業/

/772/つくばらしさのそうしゅつじぎょう/

/つくば市が1992年度から取り組むこととなった”つくばらしさ”を追求する計画。略称をCI事業という。「つくば」の名にふさわしい行政組織づくりを進めようと市民憲章の制定や市民交流の機会、行政事務の効率化などをはかる。具体的には「つくば市」のロゴタイプの設定、市民憲章・市の花などの制定、行政窓口の簡素化、職員制服など行政組織の見直しのほか、街角の案内版、つくばらしい街並みづくり、新旧住民の交流機会などを検討し、1994年度から事業に着手する計画である。事業の推進のために市は市長を本部長とする「CI推進会議」や各課職員からなる「CI委員会」などを庁舎内に設ける。また、市内外の有識者十数人で「CI懇談会」も組織して事業に反映させる考え。/1992.6.10茨城/94- 1-25/

/ツクバリアンズ/

/773/つくばりあんず/Tsukubarians/

/つくばにあるラグビーのクラブチームの一つ。なかなか強いぞ。野蛮人の意味のバーバリアンズをもじった名前であるが、茨城県の大会において、ツクバ・リアンズと誤記されてしまったことがある。/94- 1-25/

/ツクバリアンズJr./

/774/つくばりあんずじゅにあ/

/ツクバリアンズのジュニア版。→ツクバリアンズ。/1991.8.15生田研一郎/94- 1-25/

/つくば旅行センター/

/775/つくばりょこうせんたー/

/Tsukuba Travel Center、→びゅうPlaza/1992.1.19返信/94- 1-25/

/つくば旅行センター/

/776/つくばりょこうせんたー/Tsukuba Travel Center/

/1989年7月1日につくばターミナルにオープンしたJRの旅行センター。JR東日本の駅外店舗としてはここが初めてだという。早く、東京発のトクトク切符を打ってほしい。/つくば市吾妻1ー1515/M:N1W1/94- 1-25/

/つくばりんりんロード/

/777/つくばりんりんろーど/施設名/

/筑波自転車道につけられた愛称。この愛称は公募で集められた応募総数2,719点の中から1993.4.19に最優秀作品に選ばれたもので、土浦市神立小2年の神亜紀さんの作品である。選考会では「りんとそびえた筑波嶺のふもと、銀輪を光らせ、リーンという鈴の音を響かせて林間を行き交うように」と「りんりん」への願いを込めたという。/1993.4.27茨城/930511/アルタキ/94- 1-25/

/つくば連続セミナー/

/778/つくばれんぞくせみなー/イベント/

/常陽新聞社が1993.5〜7に「つくばの集積を地域経済のため、いかに活用するか」をメインテーマに、3回連続で行うセミナーのこと。研究学園都市30周年、常陽新聞創刊45周年記念行事である。テーマは、1993.5.10の第一回では「つくばへのガイダンス〜コーディネーター勢ぞろい」、1993.6.14の第二回では「つくばをいかに活用するか〜先進例に学ぶ」、1993.7.12の第三回では「つくばと結ぶ地域経済の展開方向を探る」。会場はつくば研究支援センター。受講料は一人20,000円で定員80名。/常陽新聞社内創刊45周年事業実行委員会事務局/300/土浦市真鍋2-7-6/0298-21-1780/1993.4.1常陽/930511/アルタキ/94- 1-25/

/つくばワールド/

/779/つくばわーるど/Tsukuba World/

/筑波学園JCが1984年に行ったつくばのイベント。アイアイモールの一周年記念とJCの結成を記念して行われた。翌年のEXPO'85に向けてのデモンストレーションの効果があった。/94- 1-25/

/つくば若い力の会/

/780/つくばわかいちからのかい/

/筑波大生らが結成した政治団体。1991.12.22投票のつくば市議会議員の補選(定数2)で筑波大学OBの医者(31才)を擁立する動きを見せている。もし立候補すると社会党と共産党から立候補すると見られる2人の候補と合わせ、選挙戦になる可能性が出てきた。/1991.11.27読売/94- 1-25/

/土浦・つくば・牛久業務核都市構想/

/781/つちうら・つくば・うしくぎょうむかくとしこうそう/都市計画/

/1993.2.1付けで多極分散型国土形成促進法に基づき国の承認を受けた業務核都市構想。新たに牛久地区が加えられたもの。業務施設集積面積は約2,278haとなる。この承認により、首都圏整備計画の改訂時に「土浦市・筑波研究学園都市」とされている業務核都市に牛久市が加えられることになる。/1993.2.2常陽/930224/アルタキ/94- 1-25/

/土浦・つくば研究学園都市誘客協議会/

/782/つちうら・つくばけんきゅうがくえんとしゆうきゃくきょうぎかい/Tsuchiura-Tsukuba Science City Visiters Inviting Association */

/つくばがサイエンスシティとして世界的注目を浴びている中、各所で大小様々な学会や会議が行われているが、それをより広げた形で誘致しようとして組織化されたのがこの協議会。土浦市・つくば市・茎崎町で構成されている。事業としては県外でのPRが多いが、いずれは国際レベルでPR活動をする予定。/事務局:つくば市経済部商工観光課/TEL:37-1666/94- 1-25/

/土浦学園線/

/783/つちうらがくえんせん/Tsuchiura-Gakuen Street/

/筑波研究学園都市に数ある幹線道路の中で最も最初に建設された道路。名前の通り、土浦と筑波研究学園都市を最短距離で結んでいる。信号も交通量も少なかった頃に、筑波大学から桜川に架かる学園大橋まで5分というスピード記録がある。/M:N2E3/94- 1-25/

/土浦市/

/784/つちうらし/Tsuchiura City/

/筑波研究学園都市の表玄関となっていた都市。人口120,175人、36,866世帯(1985年10月現在)。面積は91.51ha。県南の中心的な商業都市として発展してきたが、近年、筑波研究学園都市、取手、柏との競争関係にあえいでいる。しかし、歴史の重みを大切にすることで再生するのでは、と期待しているのは私だけではないだろう。市長は助川弘之氏。/土浦市役所/土浦市下高津1-20-36/TEL:21-3510/94- 1-25/

/土浦土木事務所/

/785/つちうらどぼくじむしょ/

/Tsuchiura District Public Works Office 土浦市、石岡市、つくば市、新治郡、筑波郡の県の道路・河川など土木公共施設の管理と建築の事務を所管している県の出先機関。茎崎町部分は竜ヶ崎土木事務所の管轄となる。土浦市中高津3-11-5 TEL:22-4340(代) M:S2E7/1991.1.8返信/94- 1-25/

/土浦土木事務所/

/786/つちうらどぼくじむしょ/Civil Engineering Office at Tsuchiura Area/

/つくば市・土浦市・新治郡・筑波郡の県の公共施設を管理している県の出先機関。茎崎町部分は竜ヶ崎土木事務所の管轄となる。/土浦市中高津3-11/TEL:22-4340/M:S2E7/94- 1-25/

/土田旭/

/787/つちだあきら/TSUCHIDA,Akira/人名/

/都市環境研究所代表。1937.8兵庫県生まれ、東京育ち。東京大学大学院工学研究科(建築学)修了。1964〜66に筑波研究学園都市のマスタープランづくりに参加。1965〜70までマスタープランのフォロー、住宅地の基本計画作成、研究所・大学の基本計画検討などに携わる。/1993.11.18常陽/931226/アルタキ/94- 1-25/

 

つくばファンクラブホームページへ戻る

筑波研究学園都市大事典へ戻る