THE ENCYCLOPEDIA TSUKUBANICA

タ〜ダン

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/体育専門学群/

/528/たいいくせんもんがくぐん/School of Health and Physical Education/

/筑波大学の専門学群の一つ。正式名称は筑波大学体育専門学群。質、量とも国立大学ではトップレベルにあり、つくばの名を全国に広めているが、学内では大柄、大飯で一目でわかる。オリンピック選手も多数輩出しており、女三四郎の山口香やバレーボールの廣紀江等が有名である。/M:N3W1/94- 1-25/

/体芸棟/

/529/たいげいとう/Taigei-Tou/

/筑波大学の体育・芸術専門学群棟の略称。体育専門学群と芸術専門学群というまったく異質なる集団が使う建物。キャンパスの南部にペデをまたぐようにして建っていることから南大門(なんだいもん)と呼ばれ、存在感を示している。ガラスと鉄ばかりでできたような6階建。設計は槙文彦。竣工当時は建築雑誌に紹介されるなど、世界的に知られる美しい建物だったが、今ではガラスブロックの破損など傷みが目立つ。また、冷房を前提として設計されたものの、直後のオイルショックによって冷房化されず、夏は温室のような暑さである。/M:N3W1/94- 1-25/

/田井 慎吾/

/530/たいしんご/Tai,Shingo/人名/

/(株)環境研究センター代表取締役社長。1939.10生まれ。岡山県出身。京都大学大学院衛生工学専攻、1967.3修了。名古屋市下水道局勤務。1974.11、京都大学時代に誘われ、国立公害研究所(現国立環境研究所)に転職。「熱力学による環境とエネルギーの関連の研究」を学位論文としてまとめる。1987.12に(株)環境研究センターをつくば市栗原のアパートを買い取って設立。環境問題の調査研究、コンサルタント、環境アセスメント、環境質測定分析を主な業務とする。社員数27人。1990に水戸営業所、1992につくば市妻木に新社屋を完成。独立して会社を起こした研究者の先駆例として注目されている。/1993.11.12常陽(つくばを動かした100人)/940106/アルタキ/94- 1-25/

/体専/

/531/たいせん/Taisen/

/94- 1-25/→体育専門学群/

/大量選挙違反事件/

/532/たいりょうせんきょいはんじけん/?/

/1978年の県議会議員選挙の際に起こった筑波大生票の大量の買収事件のこと。結局不起訴となったが、政治的に無菌状態で培養された筑波大生の脆さが批判された事件であった。/94- 1-25/

/タウン太/

/533/たうんた/

/タウンタウンつくばのキャラクター。タウン・タウン・つくばの頭文字の3つTが目と口になっている。/1992.8.31創刊号/94- 1-25/

/タウンタウンつくば/

/534/たうんたうんつくば/

/オフィストップが発行するつくばの月刊生活情報誌。1992.4に創刊された。創刊号はB5版変形32頁で一部200円。問合せ:二の宮1-21-3グランドパレスNS-1 106、TEL:52-9386、FAX:55-1976/1992.8.31創刊号/94- 1-25/

/高崎自然の森/

/535/たかさきしぜんのもり/公園/

/茎崎町が、町内に残された平地林を保護し、自然とふれあう場所のしようと、高崎地区の平地林を「高崎自然の森」として整備することになった。完成は1994.11の予定。保護される平地林の広さは約18ha。アカマツ、ナラ、クヌギといった雑木林がひろがり、小鳥たちのすみかにもなっている。茎崎町が地権者から借り受け、散策路や休憩施設、トイレなどを設置し、谷津田に水を引いてアヤメなどを植える計画である。/1993.3.15/930403/アルタキ/94- 1-25/

/高山英華/

/536/たかやまえいか/Takayama,Eika/人名/

/1910.4生まれ。東京育ち。東京大学工学部に都市工学科設立。国土計画、地方計画、農村計画、住宅地計画専攻。東京、札幌オリンピック施設、千里、高蔵寺、多摩ニュータウン設計、八郎潟干拓農村計画に携わる。東京大学名誉教授、(財)日本地域開発センター理事長。東京都杉並区阿佐ヶ谷在住。つくばでは研究学園都市開発基本計画策定委員会の副委員長を務め、マスタープランづくりに深く関与した。また東大の教え子の多くが研究学園都市建設に携わっている。/1993.12.1常陽つくばを動かした100人34/931226/アルタキ/94- 1-25/

/たがみ酒店/

/537/たがみさけてん/

/酒専門店。ここも筑波大学の学生がよく来るらしい。種類は多い。改装を何回もしている。注:改装回数がわかるといいと思う。(M:S1E1)/生田研一郎/94- 1-25/

/竹内藤男/

/538/たけうちふじお/Takeuchi/Fujio/

/茨城県知事。元建設省官僚。/94- 1-25/

/竹園/

/539/たけぞの/Takezono/

/新町名の一つ。かつての小字名。大字花室のうち第1次入居の行われた地区とその周辺に命名された。また、筑波研究学園都市において行われた10地区の土地区画整理事業の事業名称の一つでもある。/94- 1-25/

/竹園高校/

/540/たけぞのこうこう/Takezono Senior High School/

/1979年に開校した研究学園地区最初の高等学校。今ではつくばの名門高校となっている。竹小、竹中、竹高、筑波大または東大がここのエリートコースとか。/つくば市竹園3-1218/TEL:51-7515/M:N1E2/94- 1-25/

/竹園ショッピングセンター/

/541/たけぞのしょっぴんぐせんたー/Takezono Shopping Center/

/第三セクターの筑波新都市開発鰍ェ運営している住区ショッピングセンター(移転機関職員などの住宅団地のセンターにあり、近隣住区の核=サブセンターとなっている最寄品中心のショッピングセンター)の一つで、学園都市中心地区に近接した竹園住区にある。スーパーマーケットを中心に、物販・飲食施設の他、郵便局・銀行・診療所・歯科・眼科などの公益施設もある。/つくば市竹園3丁目/M:N1E1/94- 1-25/

/竹園西小学校/

/542/たけぞのにししょうがっこう/Takezono-nishi Elementary School/

/竹園2丁目に1990年4月開校の小学校。設計は原広司とアトリエΦ。以前は催し物広場(竹園多目的広場)として使われており、中古車の販売会がよく行なわれていた。夜間、照明を何台もあてて車のCFをとっているのを見たこともある。/つくば市竹園2丁目/TEL:51-7975/M:S1E1/94- 1-25/

/竹園ハウス/

/543/たけぞのはうす/

/研究交流センターの北側にある外国人研究者用宿舎。/94- 1-25/

/竹園東小学校/

/544/たけぞのひがししょうがっこう/Takezono-higashi Elementary School/

/1974年4月に開校した研究学園地区最初の小学校。当時の状況は「長靴と星空」に詳しい。かまぼこ型の校舎とCAIで有名。/つくば市竹園3-16/TEL:51-2032/M:N1E1/94- 1-25/→CAI/

/竹園東小学校/

/545/たけぞのひがししょうがっこう/

/Takezono-higashi Elementary School。1974年4月に開校した研究学園地区最初の小学校。当時の状況は「長靴と星空」に詳しい。かまぼこ型の校舎とCAIで有名。外国人帰国児童の教育ではつくば市内の草分け的な存在。つくば市竹園3-13、TEL:51-2032 M:N1E1→CAI/1991.12.29返信/94- 1-25/

/竹園東中学校/

/546/たけぞのひがしちゅうがっこう/Takezono-higashi Junior High School/

/1974年4月に開校した研究学園地区最初の中学校。/つくば市竹園3-16/TEL:51-3467/M:N1E2/94- 1-25/

/竹園マダム/

/547/たけぞのまだむ/takezono madamm/

/公務員の夫を持つ竹園の奥さんたちは高い教養と多くの自由時間がある。その奥さんたちのことを、テニスに、カルチャーセンターにボランティア活動にと忙しくもハイソで知的で優雅な生活をしている様子から「竹園マダム」と呼ぶ。(もちろん並木でも手代木でもいいのだが、公務員の代名詞と言ったらやっぱり竹園である。)/94- 1-25/

/タッチゾーン方式/

/548/たっちぞーんほうしき/Touch Zone System/

/1987年11月の合併の際に採用された行政運営方式。4つの旧町村それぞれに予算(歳入、歳出)の立案と執行権限を残したまま、4つのゾーンがタッチした状態で行政を行うこと。合併による財政上の急な変化と混乱を避けるため、4年間の期限を決めて採用された。早期合併を実現するための便法とも言える。つまり、予算の立案が旧町村毎に行われるわけで、市長が口を出しにくいといわれ、特に副市長がいたときは大変だったと思われる。/94- 1-25/

/タッチゾーン方式/

/549/たっちぞーんほうしき/

/旧町村ごとの行財政運営のこと。つくば市では、合併後も旧町村の行政原則などを残し、5庁舎に分かれて複雑な事務・事業を執行していた。1991.4に効率の良い行政を目指してタッチゾーン方式は廃止された。しかし、木村市長は事業部門を従来通りに戻す方針を示し、1992.11から建設部を、1993.4から経済部を5庁舎ごとに配置することにした。木村市長の「倉田色一掃」の一環とでも言うべきでしょうか。/1992.10.15常陽/94- 1-25/

/田中みどり/

/550/たなかみどり/TANAKA, Midori/人名/

/天久保ショッピングセンターのリサイクルショップ「松見パーティーハウス」のオーナー。大阪府出身、1953.10生まれ。ラジオアーソトープ研究所に勤務。結婚後、特許の翻訳会社に就職。その後研究機関のアルバイトを経て現在に至る。つくばとの関わりは、15年前(1978頃)筑波大学の大学院生だった夫に伴って一年半新婚生活を送ったことと、東京で3年過ごした後に仕事をするなら友人の多いつくばでと、上の室に家を建てたことにある。月に1〜2回JICAの研修生や大学生が集まってエスニック料理を食べるパーティーを開いたのが人が集まるきっかけとなって、服の交換会からリサイクルショップまで発展してしまったとか。夫は環境問題の専門家。つくば市上の室在住?。/1993.10.20常陽/931024/アルタキ/94- 1-25/

/多文化を考える会/

/551/たぶんかをかんがえるかい/

/つくば市内にある、国際交流のボランティアグループの一つ。外国滞在経験のある主婦らで構成されている。/1991.12.13朝日/94- 1-25/

/多目的ガイドブックTSUKUBA/

/552/たもくてきがいどぶっくつくば/Multi-Purpose Guide Book of Tsukuba/

/94- 1-25/→ガイドブック/

/第一学群/

/553/だいいちがくぐん/the First Cluster of Collages/

/人文、社会、自然の3つの基礎的な学類からなる学群。この学群は東京教育大から綿々と続いている部分で、筑波で最も早く開学したところでもある。基本的には基礎学問を領域とする。ノーベル賞をとった朝永博士は東京教育大学教授だった。/M:N4W2/94- 1-25/

/第一次入居/

/554/だいいちじにゅうきょ/First Imigration to Tsukuba/

/筑波研究学園都市に公務員が最初に移転してきたのは、1972年1月8日のことであった。____戸____人の人々の希望と開拓の歴史が始まった。住宅は竹園3丁目(当時は花室と呼んでいた)の101棟〜105棟の5棟であったが、周辺には商店もなく、まわり中が工事中であったため、赤土の泥の中を通勤、通学しなければならなかった。同年3月の第2次入居以降、人口は急速に増え、施設整備も進み、今では当時の様子は「長靴と星空」を読む以外にはわからなくなってしまった。 /94- 1-25/

/ダイエー筑波学園店/

/555/ダイエーつくばがくえんてん/

/Daiei Tsukubagakuen Store、1985年4月25日に筑波研究学園都市の中心地区の一角に出来たスーパーマーケット。店舗スペースはB1と1Fにしかなく、2F、3Fは駐車場となっている。雨に濡れることなく、駐車場から店内に入れるのがたいへん好都合。コンクリート打ち放しの外観は、つくばではさほど奇異には見えない。営業時間:10:00〜19:00、水曜定休。つくば市竹園1-9、TEL:58-1147 M:S1E2/1991.7.19返信:渋浜浩?田嘉郎/94- 1-25/

/ダイエー筑波学園店/

/556/ダイエーつくばがくえんてん/Daiei Tsukubagakuen Store/

/1985年4月25日に筑波研究学園都市の中心地区の一角に出来たスーパーマーケット。店舗スペースはB1と1Fにしかなく、2F、3Fは駐車場となっている。これは、商調協の決定で、店舗面積が削減された結果である。コンクリート打ち放しの外観は、つくばではさほど奇異には見えない。営業時間:10:00〜19:00、定休日:水曜。/つくば市竹園1ー9/TEL:58-1147/M:S1E2/94- 1-25/

/大学会館/

/557/だいがくかいかん/University Hall/

/筑波大学のほぼ中心に位置する施設。講堂やホールでは、大学関係者だけでなく地元住民も参加できる無料の映画会や音楽会が催され、開かれた大学の一翼を担っている。別館には、書店・小売店・旅行代理店・郵便局・キャッシュコーナー・宿泊施設がある。宿泊施設は大学関係者専用だが、その他の施設は一般にも利用できる。どの店もたいてい一割程度の割引があり、専門書などの高価なものが安く買えるので非常にありがたい。本館には、朝永記念館もある。講堂、ホールの催し物の問合せ:TEL:53-2034/M:N3W2/94- 1-25/→朝永記念館/

/第三学群/

/558/だいさんがくぐん/the Third Cluster of Colleges/

/筑波大学の第三学群のこと。経営・工学を中心とするため、女子学生が少なく、筑波大学の中で最も暗い学群といわれる。筑波大学として新設された学群で、東京教育大の伝統はないが、筑波大学の目玉という評価もある。第三学群に属する学類は、社会工学、国際関係、情報、基礎工学の4つである。/M:N4W2/94- 1-25/

/第3セクター/

/559/だいさんせくたー/the Third Sector/

/公共団体を第1セクター、民間企業を第2セクターとすると、官民が出資してできた企業や団体を第3セクターと呼ぶ。一般に、筑波研究学園都市では、住宅・都市整備公団、茨城県、つくば市、茎崎町、民間の出資でできた筑波新都市開発鰍さす。また、厳密には(財)つくば都市交通センターなども第3セクターの1つといえる。/94- 1-25/

/第3の商業施設/

/560/だいさんのしょうぎょうしせつ/

/第3セクター筑波新都市開発(株)がクレオ北側の平面駐車場と立体駐車場の間の歩行者専用道路に沿って建設する商業施設。RC造4階建て地下1階、約3,800u。1〜3階は飲食店。1、2階の一部は物販関係のショールームも予定している。4階は事務所、地下は機械室。1992.8末まで出店希望者を9区画募集している。問合せ:52-1111筑波新都市開発(株)。/1992.5.20新いば/94- 1-25/

/第二学群/

/561/だいにがくぐん/the Second Cluster of Collages/

/筑波大学の第二学群のこと。比較文化(比文)、日本語日本文化(日日)、人間、生物、農林の5つの学類がある。第一学群の基礎学群とは異なり、応用学問の学類となっている。学類の名称がユニークであり、「人間ですか?」「いや生物です。」なんていう会話が日常となっている。/M:N4W2/94- 1-25/

/第2工技院/

/562/だいにこうぎいん/Dai 2 kougiin/

/94- 1-25/→工業技術院筑波第2研究センター/

/大日本印刷つくば総合開発センター/

/563/だいにほんいんさつつくばそうごうかいはつせんたー/

/大日本印刷(本社・東京都新宿区)が研究開発の拠点としてつくばテクノパーク豊里に建設している研究所。素材開発から商品生産システムまで一貫した研究開発体制を築く計画。敷地面積86,000u。1991.6.18に第1期工事として生産総合研究所試作棟と動力棟の完工式を行った。生産総合研究所試作棟は鉄骨造3階建て、延べ床面積7,300u。印刷機や加工機を用いた新製品量産技術の開発などを目指す。今後1998年までに5期に分けて300億円を投じて研究開発から商業生産までできる施設の建設を進める。/1991.6.18日経、1991.6.20朝日/94- 1-25/

/ダフネの像/

/564/だふねのぞう/Statue of Daphne/

/94- 1-25/→樹/

/ダルマ市/

/565/だるまいち/Daruma fair/

/94- 1-25/→どろ市/

 

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