THE ENCYCLOPEDIA TSUKUBANICA

ケ〜ゲン

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/恵風画房/

/249/けいふうがぼう/(Keifu Gabou)/

/吉瀬(桜地区)にあった根本氏邸の長屋門を改造したアート・ギャラリー。主宰者は根本健一。そのユニークな建物は独特の雰囲気を持ち、マスコミの高い評価を受け、人気があった。地元の作家の他著名作家の展示、また、筑波研究学園都市らしく海外からの留学生の民族性豊かな作品の展示なども行っていた。今はギャラリー幸慈になっている。/つくば市吉瀬1876-1/M:N1E4/94- 1-25/→ギャラリー幸慈/

/計量研究所/

/250/けいりょうけんきゅうじょ/(National Research Laboratory of Metrology)/

/通産省工技院の中にある研究機関。ここでは計量標準の設定や物理定数の決定をしたり測定方法の研究方法を研究している。日本国キログラム原器の保管を行っているのもここである。/つくば市梅園1-1-4/TEL:54-4117/M:工業技術院 /94- 1-25/

/けやき通り/

/251/けやきどおり/(Keyaki Street)/

/筑波大学の東側にあるループ道路。つくばには多くの街路樹があるが、その中でも初期に形成された一つで、春の新緑、秋の紅葉は、つくばに住む人の心を安らかにする。つくばマラソンの出発・ゴール地点になる。/M:N3W1/94- 1-25/

/圏央道/

/252/けんおうどう/

/首都圏中央連絡自動車道のこと。/94- 1-25/

/圏央道建設促進会議/

/253/けんおうどうけんせつそくしんかいぎ/

/茨城県、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、横浜市の沿道6都県市が1992.11.24に設立する予定の組織。首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の早期整備に向けて建設省と日本道路公団への陳情などが目的。第1回総会は1992.11.25に都内で開き、道路整備財源の充実確保など9項目の決議を採択する。メンバーは関係6都県市の知事・市長のほか会議の目的に賛同する市町村町。/1992.11.11日経/94- 1-25/

/研究・学園都市/

/254/けんきゅう・がくえんとし/(Academic New Town)/

/94- 1-25/→筑波研究学園都市/

/研究・学園都市建設推進本部/

/255/けんきゅう・がくえんとしけんせつすいしんほんぶ/(Head Quater of Academic New Town Construction)/

/筑波研究学園都市の関係省庁の大臣により構成される意志決定機関。略称は「推本(すいほん)」という。事務局は国土庁大都市圏整備局筑波研究学園都市建設推進室。1965年2月11日に第1回が開催されて以来、移転、新設する教育研究機関や都市建設のプロセスなどの重要な事項を決定してきた。/94- 1-25/

/研究学園地区/

/256/けんきゅうがくえんちく/(Research and Educational District)/

/筑波研究学園都市のうち、研究教育機関の移転等の目的のために開発整備された約2,700haの区域を指す。新住宅市街地開発事業、土地区画整理事業、一団地の官公庁施設事業、都市公園事業により整備されている。研究学園地区の反対語は、周辺開発地区。/94- 1-25/

/研究学園地区建設計画/

/257/けんきゅうがくえんちくけんせつけいかく/(Research and Educational District Construction Plan)/

/1980年9月に国土庁長官が決定した研究学園地区の計画。序章も含め、5章構成で、内容は都市づくりに関して多岐にわたっている。方針として@試験研究・教育機能の充実A総合的な都市機能の充実B良好な環境の確保となっている。これに対して、周辺開発地区整備計画は茨城県知事が定めた。/94- 1-25/

/研究学園都市建設連絡協議会/

/258/けんきゅうがくえんとしけんせつれんらくきょうぎかい/(Commitee of Academic New Town Development Co-ordination)/

/旧地元6か町村の首長と議長で構成される協議会。「六連協」と略称される。研究学園都市の建設が活発だった時には、建設促進のための地元の意見調整を行っていた。近年では中央図書館のシステム調査を実施し、つくば市の発足時につくば市に引き継いだ。しかし1987〜88年に5か町村が相次いで合併したため、協議会の存続を含めて今後の行方が注目される。/94- 1-25/

/研究学園都市テニス大会/

/259/けんきゅうがくえんとしてにすたいかい/

/官民の研究所から参加する筑波研究学園都市最大のテニス大会。1991年で26回目。実行委員会主催、朝日新聞社つくば支局後援。1991年は官民の研究所から228チーム、1360人が参加し、つくば市内の約60面のコートで開かれる。この大会は1979??年から毎年春秋に開かれてきた。第一回は国立研究所の交流を目的として科学技術庁研究交流センターが主催し、参加者は18研究所から280人だった。1989年から実行委員会方式に変わり、民間研究所の参加の道が開け大会規模もふくれあがった。/1991.10.24朝日/94- 1-25/

/研究機関(補)/

/260/けんきゅうきかん/

/県の筑波研究学園都市研究機関等連絡協議会民間分科会(中村好隆会長)が1991年度末に行った調査によると、民間研究機関数は139機関(前年度比16機関増)、職員数7,100人(同1,081人増)だった。1991.7現在の国立研究機関は42機関7,200人で学園都市全体の研究機関従事者数は14,300人、うち研究者は12,000人に上る。/1992.9.6東京/94- 1-25/

/研究教育機関/

/261/けんきゅうきょういくきかん/(Research and Educational Institutions)/

/狭義には筑波研究学園都市に移転または新設された国などの研究教育機関全体をいう。推本決定された機関が対象で、1989年7月現在47機関あり、最新のものは筑波技術短期大学である。広義には、民間の研究機関も含まれ、正確にはわからないが125とも200ともいわれ、続々増え続けている。一般の人には何をやっているのかよく分からないがノーベル賞候補がいっぱいいるという話もあり、世界のつくばのシンボルでもある。/94- 1-25/

/研究交流シンポジウム/

/262/けんきゅうこうりゅうしんぽじうむ/会議名/

/第2回研究交流シンポジウムは1992.12.15に筑波大学大学会館国際会議室で開かれる。第2回は世界経済と地球環境をテーマとし、社会工学、地球科学など多彩な顔ぶれで発表、報告が行われる予定である。/1991.12.9/930106/アルタキ/94- 1-25/

/研究交流センター/

/263/けんきゅうこうりゅうせんたー/(Tsukuba Center for Institute)/

/筑波研究学園都市における研究交流の要として科学技術庁が運営している共同利用施設。筑波研究学園都市内の研究者がお互いに、あるいは東京など筑波研究学園都市以外の研究者と研究所の接触交流を広げる場を提供するとともに、科学技術に関する全世界の情報を円滑迅速に提供している。中には国際会議場の他、大小の会議室をはじめ、レストラン、展示物、ラウンジがあり、屋外にはテニスコートも3面ある。初代所長は河本哲三(現、筑波コンソーシアム専務理事)で研究交流の要として縦横無尽の活躍をした。/つくば市竹園2-20-3/TEL:51-1331/M:S1E1/94- 1-25/

/研究所/

/264/けんきゅうじょ/

/科学技術庁研究交流センターが1991.8.26にまとめた「筑波研究学園都市の概況と研究交流センターの活動」によると、筑波研究学園都市に進出、進出予定または建設中の研究・開発を主体とした民間企業・研究グループは1991.6現在で255にのぼっていることがわかった。うち既に操業しているのが218。国立48、公益9を合わせると312にもなる。また、90年度の外国人研究者は112カ国、2,415人であった。/1991.8.27常陽、茨城/94- 1-25/

/建設計画/

/265/けんせつけいかく/(Research and Educational District Construction Plan)/

/94- 1-25/→研究学園地区建設計画/

/建設ラッシュ/

/266/けんせつらっしゅ/

/大通り沿いに次々と新しいビルが建っている。/生田研一郎/94- 1-25/

/建築研究所/

/267/けんちくけんきゅうじょ/(Building Research Institite, Mistry of Construction)/

/筑波研究学園都市の北部にある建設省附属の研究機関。1980年に現在の地に移転。この研究所では都市及び住宅・建築に関する行政施策の遂行のために不可欠な先導的研究を行っている。面積20ha。/つくば市立原1/TEL:64-2151/M:N6W4/94- 1-25/

/建築研究所(原文)/

/268/けんちくけんきゅうじょ/

/Building Research Institite, Mistry of Construction、<事典原文>筑波研究学園都市の北部にある建設省附属の研究機関。1980年に現在の地に移転。この研究所には都市及び住宅・建築に関する行政施策の遂行のために不可欠な先導的研究を行っている。面積20ha。つくば市立原1、TEL:64-2151 M:N6W4/1991.12.24返信情報管理係服部さん内線256、パンフレットのみお送り頂きましたので事典原文を載せます/94- 1-25/

/県南地域/

/269/けんなんちいき/(Southern Part of Ibaraki Prefecture)/

/茨城県の南部にある12市18町13村の総称。主な都市に土浦市、つくば市、牛久市などがある。県南地域を「つくば」という略称にしようという話もあったとか。県南地域の南部は首都圏の通勤圏になっており、常磐新線の建設が進めば県南地域全域も通勤圏に取り込まれると思われる。首都圏の産業および人口増の受け皿となる将来性豊かな地域である。/94- 1-25/

/圏民センター/

/270/けんみんせんたー/(Regional Community Center)/

/筑波研究学園都市の6か所にある多目的ホール、または、総合体育館のこと。筑波研究学園都市建設の見返り施設として当初は2町村に1か所づつで3か所が計画されたが、結局旧6町村に1か所づつ建設された。管理は筑南広域事務組合ということになってるが、6町村に事務委託されていたので、町村立の施設みたいになってしまっていた。将来、茎崎町とも合併をすると、つくば市には6つのホールや体育館が存在することになり、有効な使われ方が注目される。/94- 1-25/

/県立大規模総合運動公園計画/

/271/けんりつだいきぼそうごううんどうこうえんけいかく/

/玉取地区に火葬場とセットで整備される予定の県立の総合運動公園。県の計画では敷地規模約25ha。東側に約3haの火葬場を林で囲んで整備。北側には約2.5haのサッカー場兼400mトラックの陸上競技場、南側には約2.5haのサッカーや野球などもできる多目的広場を配置する。西側にはフィールドアッスレチック場や10面のテニスコート、500台収容可能の駐車場などをつくり、周囲にはサクラを植える。木村市長の構想では野球場が3面で一面は公式戦ができ、サッカー場とラグビー場を2面ずつとし、国際試合も可能な施設とすることやテニス場、クロスカントリー、子ども向けの宇宙公園遊技場、千台の駐車場を整備するほかさまざまな植物を植えることなど盛りだくさんだった。市長は「県とは協議をせずに希望をいったもの」と弁明しているが、言ったからには責任があるのではないかしらん。/1993.7.15/930717/アルタキ/94- 1-25/

/ゲームセンター/

/272/げーむせんたー/

/つくばにはゲームセン5〜6箇所ある。エクセルはつくばで一番多く種類があり、唯一メダルゲームがある。キャロットハウスは東京のキャロットハウスのチェーン店。かなりしっかりしている。よく大学生が来ている。不良のたまり場という雰囲気はまったくない。健全な娯楽施設である。/生田研一郎/94- 1-25/

/芸術専門学群/

/273/げいじゅつせんもんがくぐん/(School of Art and Design)/

/筑波大学に3つある専門学群の1つ。時代の最先端をいくはずの芸術だけにその行動とファッションはつくばの地では良きにつけ悪しきにつけきわだっている。音楽の専攻がないのがちょっと残念。/94- 1-25/

/芸専/

/274/げいせん/(Geisen)/

/94- 1-25/→芸術専門学群/

/ゲコゲコ/

/275/げこげこ/

/春から夏ごろに見ることのできる、おたまじゃくしの具体化現象。マンションやアパートからもよく聞こえる。常磐線の駅のホームからは大合唱となって聞こえる。ゲ〜コゲコ!!/1991.8.15生田研一郎/94- 1-25/

/小泉館跡/

/276/こいずみやかたあと/遺跡/

/つくば市小泉(筑波地区)で発見された館跡。室町時代の小田氏一族の出城と見られている。館全体の推定面積は約5ha。敵の侵入を防ぐため、内、中、外の3つの堀があり、南側の中堀は幅5mと4mの二重構造になっていた。堀と堀の間の土塁は高さ約3mとみられている。下駄や漆塗の椀など約30点の木製品が腐らずにきれいな形で見つかっている。ほかに中国の青磁器や古銭なども出土。県教育財団が県道工事に伴い発掘調査をおこなった。/1993.6.24毎日/930717/イシヤマ/94- 1-25/

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