THE ENCYCLOPEDIA TSUKUBANICA

カ〜ガン

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/海外事情交流談話会/

/138/かいがいじじょうこうりゅうだんわかい/(?)/

/1988年10月、科学技術に関する我が国と諸外国の国・公・私立研究機関についての情報を交換し合い、国際親善に寄与することを目的として設立された。会長は松田浄史。隔月刊の会報が発行されている。/(松田)/つくば市吾妻2-816-2/94- 1-25/

/海外事情フォーラム/

/139/かいがいじじょうふぉーらむ/

/英語名不明。工業技術院筑波研究センターが1981.9から、研究交流事業の一環として、研究者相互の啓発ならびに周辺地域住民との交流を図るため開催してきた月例講演会。1990.6の第100回講演会には、人事院人事官の石坂誠一、第2次大平内閣で外務大臣を務めた大来佐武郎を迎えて記念行事を行った。1991.12現在118回を数え、毎月続行中。国際交流が盛んな昨今は、筑波に滞在している外国人も講師に迎えている。/1991.12工技院筑波管理事務所企画調整課計画班より/94- 1-25/

/絵画の壁/

/140/かいがのかべ/(Painted Wall)/

/つくば公園通りの滝の広場(大清水公園入口)に桜村観光協会が198_年に設置したコンクリート製の壁。計画的に建設され、人工的だといわれる筑波研究学園都市に少しづつ手作りの味を加えていこうという趣旨で設置された。最初の壁画は、桜地区の児童の描いた絵を筑波大学芸術専門学群の女学生たちがアレンジしてペイントしたパステルカラーの明るい絵だった。その後、別の人の手によって凧の絵に描きなおされ、現在は常磐新線のイメージイラストになっている。なお、この絵画の壁に似た趣旨で、住都公団が住民に呼びかけ、建設中の吾妻1丁目住宅の工事囲いの鉄板(西大通り沿い)に、絵を描いてもらったというのがあった。竹園に住む女子高生ほか数人が思い思いの絵を描いたが、こちらは工事の完了によって撤去された。/94- 1-25/

/カイザー(案)/

/141/かいざー/

/KAISER、クレオの1階にある手作りハム・ソーセージの専門店。当初は1985年に竹園にオープンしたお店で、19??年にクレオに移転したもの。開店当初からマスターとお母さんで手作り、無添加を続け、おいしいハム・ソーセージを作り続けている。製品は、パンフレットにあるだけでも15種類もあり、ソーセージはもちろんチキンローフ、ロースハム、レバーペースト、塩漬けの牛モモ肉をスモークしたパストラミビーフ等どれもおいしい。製造直後の製品の素晴らしい自然の芳香と味を作り保つため、添加物は最小限に抑え、店内で全品を製造・販売するようにしている。もちろん合成保存料や酸化防止剤、PH調整剤などは使用していないので、買ったら10℃以下で保存しよう。ところで、ソーセージのようにおいしそうな「ほっぺ」をしたマスターはまだ独身。だれかいい人いませんか?つくば市吾妻1丁目クレオ1F/TEL:55-2145/1992.6.30パンフレットより/94- 1-25/

/かえで通り/

/142/かえでとおり/(Kaede Dori Street)/

/筑波大学のキャンパスにある7つの通りの一つ。もちろん街路樹はかえで。キャンパス西側の最も交通量の多いループ道路である。交通量が多いためだろうか、なかなかこのかえでが成長しない。中には枯れてしまって植え替えられたものもある。秋、紅葉の赤は最高に美しい。/M:N4W2/94- 1-25/

/化学技術研究所/

/143/かがくぎじゅつけんきゅうじょ/(National Chemical Laboratory for Industry)/

/通産省に所属する国立の研究機関。工業技術院の中に位置する。ここでは、文字どおり化学を取り扱う研究を行っている。例えば触媒や有機電解合成といった、学生時代の化学の実験を思い出すようなことをやっている。サンシャイン計画の一環として水素エネルギーの開発研究も行っている。/つくば市東1-1/TEL:54-4431/M:S3E2/94- 1-25/→サンシャイン計画/

/科学技術週間/

/144/かがくぎじゅつしゅうかん/(Science and Technology Week)/

/毎年4月17日の発明の日を含む月曜日から日曜日までの1週間、全国的に行われる科学のお祭り。つくばでも47の国立教育・研究機関で研究に支障をきたさない範囲で多くの機関が公開、研究成果の発表、展示を行う。1週間のうち1日は無料循環バスも走る。/問合せ:研究交流センター/TEL:51-1331/94- 1-25/

/科学技術週間/

/145/かがくぎじゅつしゅうかん/イベント/

/1993年は4.12〜17まで行われた。/1993.4.9読売/930511/アルタキ/94- 1-25/

/科学技術相談室/

/146/かがくぎじゅつそうだんしつ/組織/

/つくばの産・官・学の連携を図るため、筑波大学が学内に設置する組織で1993年度予算要求に盛り込まれている。学内の研究情報データベースを学外者でも広く利用できるシステムを提供することを主な業務としているが、TARA構想の一環として位置づけられ、「茨城アカデミー」の足がかり的な組織にしたい考えだ。南日康夫副学長を室長とし、10人前後の組織になる模様。/1992.12.19常陽/930106/アルタキ/94- 1-25/

/科学の門/

/147/かがくのもん/(Gate of Science)/

/科学万博を記念し、最先端技術工業団地のシンボルとして西部工業団地の科学万博記念公園に建設されたモニュメント。科学万博のテーマ館のシンボルタワーを4分の1の大きさで模したもの。高さ10.5m、幅5.5m四方、重量約18t。鏡面仕上げのステンレス製の4本の柱で構成されている。本体の4本の柱に囲まれた中空上に、科学する心として大切な「ひらめき」「おどろき」「ときめき」「かがやき」を象徴する4人の科学者、ニュートン、ガリレオ、アルキメデス、エジソンの像が、直径10cmのステンレスの球体481個を立体的ゆがみ絵(アナモルフォーシス)の手法を用いて、モニュメントの四面にそれぞれ浮かび上がるようにデザインされている。茨城県の事業で住宅・都市整備公団が受託し、1988年1月に公開された。設計は鞄結档宴塔hスケープ研究所。/94- 1-25/

/科学万博/

/148/かがくばんぱく/(Kagaku Banpaku)/

/94- 1-25/→国際科学技術博覧会/

/かきのき/

/149/かきのき/(Restaurant Kakinoki)/

/未開の地、筑波研究学園都市において、はじめてできた本格的フランス料理やさん。近年の乱立するファミリーレストランとは確実に一線を画して、つくばの味を形成している。女主人の美しさに引かれて、昼食の人気メニュー、かきのき弁当を食べにいく学生も多い。/つくば市天久保1-15-2/TEL:51-4614/M:N2W1/94- 1-25/

/果樹試験場/

/150/かじゅしけんじょう/

/Fruit Tree Research Station、農林水産省所属の国立研究機関。1973年に園芸試験場から分離独立し、1977年に現在の筑波研究学園都市へ移転した。この試験場では、果樹の生産性の向上と果実の品質改善を図るため、@交雑育種による新品種の育成、細胞融合等バイオテクノロジー技術による新育種素材の開発、遺伝資源の探査と導入保存、A生産コストの低減、高品質果実の安定的生産のための土壌環境の解析と改善、結実・成熟生理の解明と結実管理技術の開発、わい性台木利用等による省力栽培システムの開発並びに気象環境の解析と改善、B果樹主要病害虫の発生生態の解明と的確な発生予察に基づいた合理的な制御大系の確立、C収穫適期の判定、貯蔵・選別・輸送技術の確立と缶詰、ジュースなどの加工品の品質向上等収穫後の流通加工技術利用に関する研究を行っている。筑波研究学園都市の本場とは別に全国に4つの支場(盛岡・興津・安芸津・口之津)があるが、本支場で異なる樹種別対応をしており、本場ではナシ・モモ・クリの分担と果樹全般の基礎部門の研究を行っている。面積40.3ha。つくば市藤本2-1、TEL:38-6416 M:S4W2/1992.1.7パンフレット返信。研究内容の部分は黒の次のパンフレットより写した/94- 1-25/

/果樹試験場/

/151/かじゅしけんじょう/(Fruit Tree Research Station)/

/農林水産省所属の国立研究機関。1973年に園芸試験場から分離独立し、1977年に現在の筑波研究学園都市へ移転した。この試験場では、高品質で生産性の高い新しい果樹品質を開発するため、バイオテクノロジー技術を用いた総合的な研究を行っている。筑波研究学園都市の本場とは別に全国に4つの支場(盛岡・興津・安芸津・口之津)があり、本支場で異なる樹種別対応をしており、本場ではナシ・モモ・クリを分担している。面積40.3ha。/つくば市藤本2-1/TEL:38-6416/M:S4W2/94- 1-25/

/霞ヶ浦/

/152/かすみがうら/(Lake Kasumiga-ura)/

/日本第2位の大きさを誇る湖。茨城県南西部に位置し、研究学園都市の中心部から東へ約9kmである。面積167.05km2。平均深度6m。かつては利根川が流入し、太平洋とも直結していたが、利根川は付け変えられ、治水・利水(上水道の供給、農業利用)のために逆水門によって太平洋とも仕切られている。逆水門とは、潮が満ちることによって海水が霞ヶ浦に流れ込むのを防ぐための門のことである。逆水門ができる以前、霞ヶ浦は汽水湖(塩分の混じった湖)だったのである。この頃の霞ヶ浦は水がきれいで、魚やしじみが豊富にとれた。白く大きな帆を立てた帆曳船によるわかさぎ漁が有名で、現在も夏の休日には観光用の帆曳船を見ることができる。なお、湖上からの霞ヶ浦観光には、水郷まで就航している高速艇のスーパージェット「かすみ」と遊覧船のホワイトアイリス号がある。乗船口は土浦駅東口から少し歩いたところ。また、乗船口のすぐそばにヨットハーバーがあり、ヨットをはじめ、カッターボート、ウインドサーフィンなどを楽しむ人が集まる。水質の面では透明度、BOD(生物化学的酸素要求量)共に、わが国の湖の中ではワースト10に入り、湖水の浄化が課題となっている。夏はアオコが繁殖し湖面は緑色になり、臭いにおいを発する。つくばの住民はこの霞ヶ浦の水を飲んでいるので、霞ヶ浦の浄化問題にも無関心ではいられない。国立公害研究所でも浄化の研究に取り組んでいる。市民の手による活動も活発で、霞ヶ浦をよくする市民会議(代表世話人:奥井登美子)や霞ヶ浦情報センター(代表:荒井一美)といった団体がある。/M:S1E11/94- 1-25/

/霞ヶ浦をよくする市民連絡会議/

/153/かすみがうらをよくするしみんれんらくかいぎ/

/霞ヶ浦でアオコの一斉調査を行うなどの活動をする市民グループ。1992年も6.21にアオコの一斉調査を行い、土浦港など8ヶ所でアオコの発生を確認した。なお、当日は雨のためアオコが水中に拡散し、市民連絡会が考案した五段階判定ができるほどのアオコの発生ではなかった。/1992.6.22読売/94- 1-25/

/カスミ学園店/

/154/かすみがくえんてん/(Kasumi Gakuen-branch)/

/学園都市に最初にできたスーパーマーケット。潟Jスミ(本社:土浦市、社長:神林照雄、東証一部上場)の学園地区内唯一の店舗。1980年11月オープン。竹園2丁目に位置しこの周辺は、ジャスコ、ダイエーと三どもえの超激戦区となっているが、カスミは営業時間を平日7時30分までにして全国資本に対抗している。今ではホームセンター部門、家電部門の別店舗を隣接地に持ち、カスミランドを形成している。古くからの学園都市住民にとっては「思い出のスーパーマーケット」である。営業時間:9:30〜19:30、火曜日定休(月2回程度)/つくば市竹園2-12-1/TEL:51-2631/M:S1E1/94- 1-25/

/カスミストアー学園店/

/155/かすみすとあーがくえんてん/

/Kasumi-Store Gakuen-branch。学園都市に最初にできたスーパーマーケット。潟Jスミ(本社:土浦市、社長:神林章夫、東証一部上場)の学園地区内唯一の店舗。1980年11月オープン。竹園2丁目に位置し、スーパー系ではジャスコ、ダイエーと三どもえの超激戦区となっているが、カスミは営業時間を平日7時30分までにして全国資本に対抗している。今ではホームセンター部門、家電部門の別店舗を隣接地に持ち、カスミランドを形成している。古くからの学園都市住民にとっては「思い出のスーパーマーケット」である。営業時間:9:30〜19:30、火曜日定休(月2回程度)、TEL:51-2631 M:S1E1/1992.1.19返信、社長の変更/94- 1-25/

/カスミつくばセンター/

/156/かすみつくばせんたー/

/1992.11.11につくば市に完成したカスミグループの戦略拠点となる施設。グループ企業社員の教育・研修や商品システムの開発に活用する。設計は米国の著名な建築家、マイケル・グレイブスが担当した。敷地面積57、000u、延べ床面積16、000uで鉄骨鉄筋6F建て。240人収容可能な大研修施設や、ファミリーレストランのテストキチンなどを備えている。総工費は約65億円。/1992.11.12日経/94- 1-25/

/家畜衛生試験場/

/157/かちくえいせいしけんじょう/(National Institute of Animal Health)/

/農林水産省所轄の国立研究機関。1891年(明治24年)農商務省に獣疫研究室として設置され、1947年に家畜衛生試験場と改称、東京都北多摩郡小平町に移転した。1979年、現在の筑波研究学園都市に移転した。別に全国に5つの支場と1つの研究部がある。ここでは家畜、家禽および蜜蜂の衛生、疫病の診断、予防、治療についての調査、試験研究を主要業務としている。/つくば市観音台3-1-1/TEL:38-7713/M:S6W1/94- 1-25/

/家畜衛生試験場(改)/

/158/かちくえいせいしけんじょう(改)/

/National Institute of Animal Health、農林水産省所轄の国立研究機関。1891(明治24年)農商務省に獣疫研究室として設置され、1947年に家畜衛生試験場と改称し、東京都北多摩郡小平町に移転した。そして1979年本場は筑波研究学園都市に移転した。別に全国に4つの支場と1つの研究部がある。家畜衛生試験場はは畜産の健全な発展に資するため、家畜、家きん及びみつばちの各種疾病・障害の診断、予防及び治療に関する調査並びに基盤的、先端的試験研究を行っているほか、飼料及び飼料添加物の安全性確保に関する試験研究を行っている。更に、動物用生物学的製剤の製剤配布及び家畜衛生技術普及のための講習会や国際的な研究協力、技術協力を併せ行っている。つくば市観音台3-1-1、TEL:38-7713、FAX:38-7880 M:S6W1/1992.1.31総務部長さんより返信/94- 1-25/

/かつらぎ公園/

/159/かつらぎこうえん/(Katsuragi Park)/

/春日2丁目にある近隣公園。既存林を生かした修景公園である。実はテニスコートが2面ありけっこう穴場である。面積3ha。利用時間:9:00〜19:00、料金:1面2時間500円(市営コート共通)/つくば市春日2-39-3/TEL:51-1788/M:N1W2/94- 1-25/

/葛城中北部開発対策協議会/

/160/かつらぎちゅうほくぶかいはつたいさくきょうぎかい/

/常磐新線沿線開発問題を協議する地権者組織の一つ。会長は岡野保三。/94- 1-25/

/家庭教育学級/

/161/かていきょういくがっきゅう/組織/

/つくば市吾妻小学校の父母でつくる組織。神谷栄子学級長。1993.7.9に「海外学校事情」をテーマに外国人父母との交流会を開いた。/1993.7.10/930717/アルタキ/94- 1-25/

/家庭内ごみ処理器/

/162/かていないごみしょりき/

/直径70cmの円筒形で、この中に生ごみを入れておくと、約10カ月で堆肥状になる容器。1基約6,000円だが、つくば市が1992.6頃から市民に無償貸与する予定。無償貸与は県内でも珍しい。なお、つくば市では合併前から半額補助を行っており、すでに約10,000世帯に普及している。また、茎崎町では1991.11からの「リサイクル町づくり事業」で住民の関心が高まり、昨年の約150個の申込が、今年はすでに約200個に増えている。/1992.5.13朝日/94- 1-25/

/加藤栄一/

/163/かとうえいいち/

/筑波大学社会工学系教授。1934年大阪市生まれ。1959年東京大学法学部卒。自治省入省。東京大学講師、自治省参事官などを経て現職。1988年まで筑波大学国際関係学類長。著書に「日本人の行政」(第一法規出版)「情報国富論」(TBSブリタニカ)「都市の復讐」「天才がいっぱい」(ともに太陽企画出版)など。つくばが誇る発想の豊かな知識人のひとり。「世界賢人会議」に対抗して1992年に行われた「世界凡人会議」にも出席した。1992.5に出版した「天才がいっぱい」はつくばの月刊情報誌「テクノ・カルチャー」に連載した「新・情報国富論」を中心にまとめたもの。それから、つくばファンクラブが「つくば大事典」を発行したときに真っ先に「おめでとう、よくやりましたね」と電話を頂きました。ありがとうございます。/94- 1-25/

/からくり伊賀七/

/164/からくりいがしち/(Karakuri Igashichi) /

/94- 1-25/→飯塚伊賀七/

/からまつ通り/

/165/からまつどおり/(Karamatsu Dori Street)/

/筑波大学のキャンパス内にある7つの通りの一つ。正式名称はあけぼのすぎ通り。一の矢宿舎の東側に位置している。正式な木の名前はからまつではなくメタセコイヤなのであるが、それでは通りの名に適さないということで、からまつ通りとなった。成長のスピードはゆりの木に比べて遅いが、確実に根を張りはじめている。/M:N5W2/94- 1-25/

/川中子茂/

/166/かわなごしげる/

/kawanago Shigeru。シーゲル洋菓子店の店主。22才の時に帝国ホテルを辞め、1972.11にスイスの名門、コバ洋菓子学校という職人学校に入り菓子作りを学ぶ。ローザンヌ、リヨン、ウィーンで修行を積み、帰国後の1979.9に筑波研究学園都市に店を開いた。つくばを選んだのは、つくばがラインフェルベンという町のたたずまいによく似ていたため。今ではつくばの顔のひとつ。/1991.1.30アル/94- 1-25/

/河本哲三/

/167/かわもとてつぞう/(Kawamoto/Tetsuzo)/

/1927年3月15日生まれ。1978年2月から83年4月まで研究交流センターの初代所長を務めた。サイエンスコミュニケーションの発行や種々のシンポジウムなどを行い、筑波研究学園都市の発展に寄与した。現在は、民間企業8社の出資によって設立されたミ筑波研究コンソーシアムの専務理事として、筑波研究学園都市の共同研究や研究交流の促進、都市の発展に尽力している。つくば市竹園2丁目在住。/94- 1-25/

/環境資源分析センター/

/168/かんきょうしげんぶんせきせんたー/研究機関/

/農業環境技術研究所が1993年に総工費10億円で完成した施設。/1993.11.27産経/931226/アルタキ/94- 1-25/

/観光/

/169/かんこう/(Sight Seeing)/

/筑波研究学園都市はこれでなかなか見るところがある。有名なところでは霞ヶ浦とともに国定公園に指定されている筑波山がある。つくばセンタービル、つくばエキスポセンター、地質標本館、筑波実験植物園のような見学施設、つくば公園通り、洞峰公園、松見公園、中央公園、二の宮公園、赤塚公園などの緑いっぱいのペデや公園がある。これらの施設は、「絵」になる風景として写真の題材にもおすすめ。また、東洋一といわれるディスコや松見公園周辺の飲食店街も一見の価値あり。つくば市観光協会の発行した「Guide of Tsukuba」に詳しい。/94- 1-25/

/関鉄バス/

/170/かんてつばす/(Kantetsu Bus)/

/関東鉄道鰍フバス部門。茨城県南を中心に営業している。つくば市内、特に学園地区内のバス路線はほとんど関鉄バスが運行している。筑波研究学園都市建設前からあったバス路線も学園都市の建設と成長に合わせて、度々変更されており、今後更につくばセンターを中心としたバス網に再編されると思われる。路線バスのカラーリングは水色をベースとした落ち着いたデザイン。1987年4月1日からは、JRバス関東と共同で、東京駅八重洲南口とつくばセンターを結ぶ高速バスを運行し、好評を得、空前の業績をあげた。/土浦市真鍋1-10-8/TEL:22-3724/M:N1E8/94- 1-25/

/関鉄バス/

/171/かんてつばす/

/Kantetsu Bus。関東鉄道鰍フバス部門。茨城県南を中心に営業している。つくば市内、特に学園地区内のバス路線はほとんど関鉄バスが運行している。筑波研究学園都市建設前からあったバス路線も学園都市の建設と成長に合わせて、度々変更されており、今後更につくばセンターを中心としたバス網に再編されると思われる。路線バスのカラーリングは水色をベースとした落ち着いたデザイン。1987年4月1日からは、JRバス関東と共同で、東京駅八重洲南口とつくばセンターを結ぶ高速バスを運行し、好評を得、空前の業績をあげた。土浦市真鍋1-10-8、TEL:22-3724、Map:N1E8/1991.12.26総務部総務課酒寄さん・原文通り/94- 1-25/

/関電工つくば技術研究所/

/172/かんでんこうつくばぎじゅつけんきゅうじょ/研究所/

/1993.5.13千代田町下稲吉に完成した関電工(本社・東京都港区)の研究所。新しい施工技術や太陽光発電や電力貯蔵技術といった新エネルギー活用技術を開発する。研究棟と実験棟(延べ床面積約3,200u)、屋外実験棟からなり、実験装置の搬入が完了する1993.7から本格的に稼働する。/1993.5.15朝日/930518/アルタキ/94- 1-25/

/関東銀行/

/173/かんとうぎんこう/

/Kanto Bank。土浦市に本店のある地方銀行。つくば市内には、センタービルにある研究学園都市支店をはじめ、学園並木支店、豊里支店、中根支店、谷田部支店がある。資本金41億54百万円。支店数63。 研究学園都市支店TEL:51-1801/1991.12.29返信、支店数の訂正/94- 1-25/

/関東銀行/

/174/かんとうぎんこう/(Kanto Bank)/

/土浦市に本店のある地方銀行。研究学園地区には2店舗(センタービルの研究学園都市支店、並木ショッピングセンターの学園並木支店)があり、この他につくば市内には豊里支店、中根支店、谷田部支店がある。資本金41億54百万円。支店数55。本店:土浦市中央2ー11ー7、TEL:21-8111 M:N1E8/研究学園都市支店/つくば市吾妻1丁目/TEL:51-1801/M:N1E1(つくばセンタービル)/94- 1-25/

/関東鉄道株式会社/

/175/かんとうてつどうかぶしきがいしゃ/

/Kanto Railway メB茨城県最大手の旅客運輸会社。水戸から県南地域を中心に営業しており、路線バス、鉄道、観光バスの運営が主。土浦から筑波山のふもとを通って岩瀬に至る筑波鉄道(1987.4.1廃止)は関東鉄道の子会社だった。土浦市真鍋1-10-8、TEL:22-3710、Map:N1E8/1991.12.26総務部総務課酒寄さん/94- 1-25/

/関東鉄道株式会社/

/176/かんとうてつどうかぶしきがいしゃ/(Kanto Railway )/

/茨城県最大手の旅客運輸会社。水戸から県南にかけて強く、路線バス、鉄道、観光バスの運営が主。常総鉄道は合理化のため別会社にして経営されている。土浦から筑波山のふもとを通って岩瀬に至る筑波鉄道(1982.3.31廃止)も関東鉄道の子会社だった。/土浦市真鍋1-10-8/TEL:22-3710/M:N1E8/94- 1-25/

/関東ふれあいの道/

/177/かんとうふれあいのみち/(?)/

/首都圏自然歩道の愛称。美しい自然、歴史的文化遺産をみちで結び、首都圏を一周するように設定されている自然歩道である。茨城県内には延長255km、18のコースが設定されており、そのうち、筑波研究学園都市の中心部には、筑波大学から土浦市の匂橋に至る延長14kmの「学園都市のみち」がある。松見公園の北からさくら大橋までの間は、メインペデのさくら公園通りを通るコースなので、道端に関東ふれあいの道の案内板が立っている。たどって歩くのも面白い。学園都市のみちには、筑波大学から先に「寺社めぐりと田園風景のみち」を経て筑波山に至るコースが設定されており、土浦市の匂橋の先は霞ヶ浦に至るコースが続いている。問合せ:つくば市商工振興課、TEL:37-1666/茨城県観光物産課/ TEL:0292-24-4723/94- 1-25/

/神戸芳郎/

/178/かんべよしろう/KANBE, Yoshiro/人名/

/ACCS理事長。1992年生まれ、愛知県出身、東大(経済)卒。1954建設省入省。首都高公団用地部監理課長、人事部人事課長、内閣総理大臣官房参事官、環境庁水質保全局企画課長、官房会計課長、国土庁長官官房審議官、豊橋市助役などを経て1984年ACCS常務理事に就任。1993.4から現職。ほかにつくば支援センター取締役、つくば都市振興財団、首都高速道路技術センターなどの役員を兼任。茨城桜ライオンズクラブメンバー。マルチ型の調整役が向いているとかで、サービス精神旺盛なところを、「つくばの男芸者」と自称してる。しかし、なかなかの人物と見た。/1993.9.17常陽/9321026/アルタキ/94- 1-25/

/ガーデンコート筑波/

/179/がーでんこーとつくば/マンション/

/東洋不動産が、つくば市二の宮にある公団の民間住宅事業者向け分譲用地を購入して建設した分譲集合住宅。敷地面積7536.15u、延べ床面積17,659.89u。駐車場はすべて人工地盤の下に納められているのがセールスポイントの一つ。住戸数130戸(管理人室、店舗を含まない)。残り48戸は2LDKから4LDK+S、広さは80.85〜151.36u、価格は3977.3〜7769.8万円で先着順受付中。/東洋不動産株式会社/東京都港区虎ノ門1-4-2東洋不動産ビル/03-3504-2877/パンフレット/930511/アルタキ/94- 1-25/

/外国人/

/180/がいこくじん/

/つくば市内の外国人の子供達は1991.5現在26カ国、172人。1989.5の幼稚園19人、小学校56人、中学校14人の計89人と比べると、たった二年間で倍増している。/1991.12.13朝日/94- 1-25/

/ガイド・オブ・ツクバ/

/181/がいど・おぶ・つくば/(GUIDE OF TSUKUBA)/

/つくば市の桜観光協会、谷田部観光協会、桜商工会の発行するこの「GUIDE OF TSUKUBA」はさしずめつくばの公式ガイドブックといったところである。定価は580円。筑波研究学園都市の名所、見所、文化、スポーツ情報を満載。つくばの初心者や観光客に大好評である。中でも市内飲食店をジャンル別に紹介したグルメ情報(もちろん地図付き)は、住民になったあなたには手放せないものである。問合せ:つくば市桜観光協会 TEL:57-3131。/つくば市谷田部観光協会/TEL:36-1041/94- 1-25/→ガイドブック/

/ガイドブック/

/182/がいどぶっく/(Guide Book)/

/研究学園地区の本屋で4月のベストセラーを毎年記録するのが、筑波研究学園都市を総合的に紹介したガイドブック。1985年の万博を契機に当時の桜村と谷田部町の観光協会がこの手のガイドブックを発行し始め、現在の「GUIDE OF TSUKUBA」に至っている。また、過去に発行されたつくばの街のガイドブックとして、潟`ームの「_____」(19__)、「研究学園都市・科学万博アベックガイド」(1983)、「科学万博トリプルガイド」(1985)、サプライズの「つくばですよ」(1985)などがある。/94- 1-25/→ガイド・オブ・ツクバ/

/学園北大通り/

/183/がくえんきたおおどおり/(Gakuen-kita Odori Street)/

/94- 1-25/→北大通り/

/学園祭/

/184/がくえんさい/(Campus Festival)/

/年に一度の学園祭は、大学あげての祭りであると同時に、交流の機会の少ない一般住民と大学生の貴重な交流の場でもある。普段はなかなか足を踏み入れる機会の無い構内や教室へ入るチャンスでもあり、毎年恒例の企画を楽しみにしている周辺住民も多い。筑波大学では双峰祭、筑波大学医療技術短期大学部ではゆりの木祭、図書館情報大学では栗苑祭と呼んでいる。ところで、1990年に開校したばかりの東京家政短大の学園祭はどうなるんだろうか?学園祭はその学校の雰囲気を知る最高の機会。ペデと一体になったキャンパスで学ぶ、新しいつくばの住民の素顔に触れることができるはず。早く学園祭やってね。/94- 1-25/→双峰祭、ゆりの木祭、栗苑祭/

/学園タクシー協同組合/

/185/がくえんたくしーきょうどうくみあい/(?)/

/つくばに人が住み始めた頃は、バスの便が非常に悪かった。そこで、地元のタクシー会社が共同でタクシープールを筑波大学の松見口そばに作り、組合とした。/つくば市春日1-10/TEL:51-5656、0120-005670/94- 1-25/

/学園中央通り/

/186/がくえんちゅうおうどおり/(Gakuen-chuo Dori Street)/

/94- 1-25/→中央通り/

/学園手造りハム/

/187/がくえんてづくりはむ/(Gakuen Handmade Hum)/

/学園手造りハムの会(代表:直江忠則)が造っている手造りのハム。西武百貨店で買える。/つくば市沼崎3087/TEL:47-2757/M:N4W5/94- 1-25/→ハム、筑波ハム/

/学園都市音楽会/

/188/がくえんとしおんがくかい/イベント/

/1976年から1993.7.10まで51回続いた音楽会。これは1976年の大学会館開館にともない、筑波大学教授らが世話人となり「学園地域の音楽文化に貢献する」という趣旨で学内外で音楽活動をしている団体が出演してスタートしたもので1979.6には学園都市音楽団体連絡協議会も発足し、学内外55の音楽団体の発表交流の場として県南地域の音楽文化の発展に貢献してきた。週休2日制により大学会館を土曜日に使えなくなったことなどもあって、51回で幕を閉じた。今後は「つくば音楽団体交流協議会」を組織して「ムジカ・フェスタ・ディ・つくば」を年1回、県南地域で開催する。/1993.7.11常陽/930717/アルタキ/94- 1-25/

/学園西大通り/

/189/がくえんにしおおどおり/(Gakuen-nishi Odori Street)/

/94- 1-25/→西大通り/

/学園西立体駐車場/

/190/がくえんにしりったいちゅうしゃじょう/(Gakuen West Parking Structure)/

/1988年8月、クレオの北(ジャスコ側)にオープンした6階7層の自走式公共駐車場。収容台数約1,000台。筑波研究学園都市の成熟に伴い、都心地区への来訪者が増大し、特に休日の駐車場不足が問題となっていた。この駐車場対策の切札の一つとして住宅・都市整備公団が建設した。管理はミつくば都市交通センタ−が行っている。北棟南棟の2棟構成でそれぞれ自走式の登りスロ−プがあり、中央に下り専用のスロ−プがある。設計は、坂倉建築研究所。つくばのおばさまドライバ−は、この立体駐車場がお気に召さないようで、専ら西武側の平面駐車場をご利用になっている。/つくば市吾妻1-5-1/TEL:55-7211(つくば都市交通センター)/M:N1W1/94- 1-25/

/学園東大通り/

/191/がくえんひがしおおどおり/(Gakuen-higashi Odori Street)/

/94- 1-25/→東大通り/

/学園平塚線/

/192/がくえんひらつかせん/(Gakuen-Hiratsuka-sen Avenue)/

/筑波研究学園都市主要路線のうちのひとつ。国土地理院と筑波大学を結ぶ東西に走る幅員25m、延長1,957mの都市計画道路。管理は茨城県。/M:N3W2/94- 1-25/

/学園南大通り/

/193/がくえんみなみおおどおり/(Gakuen-minami Odori Street)/

/94- 1-25/→南大通り/

/学園リーグ/

/194/がくえんりーぐ/(Gakuen League)/

/筑波研究学園都市内の研究機関等の職員の対抗スポーツ大会。テニス、野球、バレーボール、卓球などがある。団体戦で行われるため参加者が多く、コミュニケーションの活性化にも役立っている。/94- 1-25/

/学群/

/195/がくぐん/(Cluster of Colleges)/

/筑波大学の学生の教育組織を指し、3つから5つの「学類」のかたまりをいう。卒業証書には学長名と学群長名が記されることをみればわかるように、一応は学群で完結した大学を形成している。第一、第二、第三の「ナンバー学群」の他に、医学、体育、芸術の「専門学群」がある。/94- 1-25/→学類、学系、第一学群、第二学群、第三学群、医学専門学群、体育専門学群、芸術専門学群/

/学系/

/196/がくけい/(?)/

/94- 1-25/→がっけい(学系)/

/学際研究/

/197/がくさいけんきゅう/(Interdiciplinary Research)/

/筑波大学が開学時より標傍している研究スタンス。既存の学問分野にとらわれずに、他の学問分野とのすきま、あるいは、2つ以上の学問分野にまたがる問題を研究することを目指している。学内的にも学際研究にはそれなりの研究費の補助が出る仕組みになっている。/94- 1-25/

/学者村/

/198/がくしゃむら/

/茨城県住宅供給公社が土浦市永国と天川で計画している永国団地の通称。つくばの研究者が住む質の高い町を目指しているため、この名前がつけられている。/1992.7.3常陽、茨城/94- 1-25/

/学類/

/199/がくるい/(Colleges)/

/筑波大学の学生の教育組織を指す。第一学群(一学)には人文、社会、自然の3学類、第二学群(二学)には比較文化(比文)、人間、生物、農林、日本語日本文化(日日)の5学類、第三学群(三学)には社会工学(社工)、情報、国際関係(国関)、基礎工学(基工)の4学類がある。各学類は40人〜200人の規模で、他の国立大学の学科より大きく、学部より小さいといった規模である。各学類の中でもさらに専攻に分かれているが、基本的には最初の2年間は共通の科目を受講することになる。他の大学では、「ぼく、法学部」「わたし、文学部」というように交わされる会話が、筑波大では「××学類」の「学類」を省略して使うため、「ぼく、生物」「わたし、人間」となり、慣れないうちは自分がhuman beingではないような錯覚に捕らわれてしまうという。/94- 1-25/→学系、学群、第一学群、第二学群、第三学群、医学専門学群、体育専門学群、芸術専門学群/

/学系/

/200/がっけい/(Institutes)/

/筑波大学の研究者の組織体系を指す。現在26の学系がある。筑波大学では、従来の学部・講座制度を廃し、研究は学系組織で、教育は学群学類組織でと明確に分けており、学系と学群学類は一対一で対応しているわけではない。つまり、先生は学系に所属し、学生は学群学類に所属しているのである。筑波大の先生の解説によると、「例えて言えば、先生が芸者だとすると、学系が置屋で、学群学類がお座敷のようなものだ」とのことである。/94- 1-25/→学群、学類/

/合併問題/

/201/がっぺいもんだい/(Uniting Problem)/

/1987年11月30日に桜村、谷田部町、大穂町、豊里町が合併してつくば市が発足した。これは筑波研究学園都市の一体化の第一ステップである。続いて1988年1月31日に筑波町も編入合併し、現在は、筑波研究学園都市はつくば市と茎崎町で構成されていることになる。筑波研究学園都市の町村合併の歴史は古く、1950年代(昭和20年代末)の全国的な町村合併促進の頃に始まり、旧6か町村で一応の安定状態になっっていたものである。茎崎町以外は合併を経験しており、どちらの町村と合併するかをめぐって問題が起こったこともあったという。そして、1963年9月に研究・学園都市の建設が決定した際も、計画者側はいずれ合併が必要になると考えていたが、なかなか機が熟さず、24年も経てしまった。この間にも何度となく合併の話が持ち上がっては消えていった。しかし、生活圏の広がりや行政サービスの面から合併の話が具体化せざるを得なくなり、1987年、自治省・茨城県の指導により、学園都市の一体的な市民サービスと効率的な財政運営を図るため、6か町村間の協議が始まった。当初は6か町村同時対等合併が望ましいと思われたが、谷田部町・大穂町先行合併論や桜村・谷田部町先行合併論など起こったり、首長や町議会議員の残任期から茎崎町が早々に見送り、土壇場で筑波町が乗り遅れたりした。町村合併は議員定数の大幅減(緩和措置あり)、首長が一人になる、行政組織のすり合わせ等、地方の政治・行政にとって大改革を必要とする。しかし、筑波研究学園都市を指導する国や県にとって、効率的財政運営を地元に行なわせ、国や県の補助金を1円でも減らすこと、住民にとっては科学万博の時の知名度を利用し、県内第3位の都市住民になることがプライドを刺激すること、議員にとっては経過措置により議員の任期が1年延長されることなど幾多の建前や本音が組み合わされてとうとう5町村の合併が実現した。1988年1月17日に行われた初の市長選挙では倉田弘・前桜村村長が「清潔で明るいほのぼの市政」をキャッチフレーズに塚本育造、吉井孝二、矢口次雄を破って初代つくば市長に当選した。また1988年11月13日に行われた市議会議員選挙では36人の議員が誕生した。しかし、筑波町の乗り遅れや副市長制の実施・廃止に伴うわだかまりの解消、行政の早期一本化の実現、茎崎町との合併問題の解決、市役所建設方針など課題の多いつくば市の船出となった。/94- 1-25/

/ガマの油/

/202/がまのあぶら/(Gama Oil)/

/筑波山に棲むという四六のガマ(前足の指が4本、後ろ足の指が6本ある)が鏡の部屋で自らの醜い姿に流した油。すり傷、やけどなど何にでも効く軟膏として知られる。万能性、速効性がセールスポイント。有名な「ガマ口上」はこのガマの油の街頭実演販売である。日本刀を持った口上師が自分の腕を傷つけ、にじみ出た血をガマの油でたちどころに止めてみせる。ガマ口上はコマーシャルの元祖なのだ。筑波山土産に買い求めるのも良い。ホントのところどんな成分なんだろう?きっとメンソレータムみたいなものだと思うんだけど。/94- 1-25/

/ガマ祭り/

/203/がままつり/(Gama Festival)/

/毎年8月1日につくば市観光協会が主催で筑波山神社境内で行われるお祭り。ガマの油売り口上の名人披露や素人飛び入りの口上、ガマみこしパレード、カラオケ大会などが繰り広げられる。特にガマみこしパレードは筑波山神社に始まり、山頂御幸が原、つつじケ丘、門前通りと各所を練り歩く。/94- 1-25/

/GALAアート/

/204/がらあーと/(GALA Art)/

/つくば美術文化の会が遠東(豊里地区)のゆかりの森内に__年__月にオープンした山小屋風のギャラリー。面積__u。科学万博の期間中は都心会場(現、つくばエキスポセンター)そばのふれあいランド内に設置されていた。万博後は撤去され、移転先がなか決まらず気をもませたが、最終的にゆかりの森に移築された。/つくば市遠東____ /M:N3W5/94- 1-25/

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