THE ENCYCLOPEDIA TSUKUBANICA イーイン

つくばファンクラブホームページへ

筑波研究学園都市大事典へ

ア行の目次へ

い行

/伊賀七/

/38/いがしち/(Igashichi)/

/・飯塚伊賀七/94- 1-25/

/意義/

/39/いぎ/

/「しったかぶりじてん」は市民の語彙力を高めるためにある。/生田研一郎/94- 1-25/

/異義/

/40/いぎ/

/本当かな〜/生田研一郎/94- 1-25/

/生田美恵子/

/41/いくたみえこ/(Ikuta/Mieko)/

/ミラクルネットワーク社長、フリーライター。夫君は筑波大学社会工学系助教授。つくば市竹園2丁目在住。/94- 1-25/→ミラクルネットワーク/

/井坂敦實/

/42/いさかあつみ/(Isaka/Atsumi)/

/前つくば市副市長、前筑波町長。1984年の筑波町長選で茨城大学講師から転身して出馬、現職の町長を破り初当選した。つくば市の合併劇の時に合併賛成を打ち出したが、町内が賛成派と反対派に分裂したため、責任をとって辞意を表明。これをきっかけに町内が合併でまとまった。筑波町は、他の町村より2か月遅れた1988年1月31日、つくば市に編入された。合併後は副市長として旧筑波町を担当したが、1988年4月26日辞職した。つくば市北条在住。/94- 1-25/

/石川千之/

/43/いしかわ????/Ishikawa/?????/人名/

/第3代つくば市議会議長。1951から現在まで筑波土地改良区理事長を務め、筑波町議には6回当選。合併論議が大詰めを迎えた1987年当時は筑波町議会議長だった。毎朝4時に起きて自宅周辺を歩くことが日課。自称「言い出したら後へは引かない頑固者」。つくば市上大島1037。1992.12.10現在73才。/1992.12.10茨城/930106/アルタキ/94- 1-25/

/石田友雄/

/44/いしだともお/ISHIDA, Tmoo/人名/

/バッハの森文化財団代表。筑波大学教授、古代オリエント史専攻。1931.12東京生まれ。早稲田大政経卒。東京神学大学修士(旧約聖書学)終了。1958から1962まで社会福祉法人ペテスダ奉仕女母の家に勤務、聖書講義と婦人保護事業に携わる。1962にイスラエルのキブツに住み、1963から1974までエルサレム・ヘブライ大学に学び、1975同大講師、ハイデルベルグ大研究員を経て、1976筑波大助教授、1984教授(人文学類)。1980年にオルガニストの妻、一子さんと協力して竹園の公務員宿舎で「筑波バッハ合唱団・合奏団」を組織したのがつくばで文化活動を始めた最初。桜村の公民館や研究交流センターを活動の場としていたが、その頃相続した東京の土地を寄付し、有志250人の寄付600万円のうちの500万円を基金に充て、土地を売った2億3000万円を建設資金として、1985年に財団法人バッハの森文化財団を設立し、東光台に筑波バッハの森を建設。「バッハの音楽の伝える感動の共有を通して、生きる喜びを分かち合う場所」、「音楽とは感動や喜びを分かち合うもの」という信念で運営を続けている。/1993.9.16常陽/931025/アルタキ/94- 1-25/

/医専/

/45/いせん/(Isen)/

/・医学専門学群/94- 1-25/

/磯崎新/

/46/いそざきあらた/(Isozaki/Arata)/

/つくばセンタービルの設計者。1931年大分市生まれ。1961年東京大学大学院建築学博士課程終了。1963年磯崎新アトリエ設立。ISOZAKI & ASSOCIATES 主宰。ポストモダンの旗手として世界的に著名。つくばセンタービルでは彼独自の設計手法を実現させた。他には、ロスアンゼルス現代美術館(MOCA)が有名。/94- 1-25/→つくばセンタービル/

/一学/

/47/いちがく/(Ichigaku)/

/・第一学群/94- 1-25/

/一団地の官公庁施設/

/48/いちだんちのかんこうちょうしせつ/(Group of National Government Office)/

/都市計画法第11条に定められた都市施設の名称。筑波研究学園都市では、国の教育・研究機関を建設するためにこの項目が適用された。/94- 1-25/

/一団地の官公庁施設事業/

/49/いちだんちのかんこうちょうしせつじぎょう/(Project of Constracting for a Group of National Government Office)/

/一団地の官公庁施設を建設する事業。建設大臣の認可により行われる。筑波研究学園都市では、土地の造成を住宅・都市整備公団が行い、教育・研究機関の建築を建設省および文部省が行った。/94- 1-25/

/一人施行土地区画整理事業/

/50/いちにんせこうとちくかくせいりじぎょう/(Land Readjustment by Single Owner)/

/土地区画整理法第3条の1に基づく個人施行の土地区画整理事業。筑波研究学園都市では、第一〜第六地区までおこなわれ、都市開発事業とともに、町名地番界の変更を円滑に行うことが目的であった。新住宅市街地開発事業、公団施行土地区画整理事業、公園事業以外の土地が対象となり、一団地の官公庁施設事業地区とかなり重なっている。/94- 1-25/

/一の矢カーブ/

/51/いちのやかーぶ/(Ichinoya Curve)/

/筑波大学ループ道路の北端、一の矢宿舎の北にあるカーブ。2つのR(アール)を持つカーブである。車やバイクに乗っているとついつい攻めたくなるカーブであった。ここで数多くのヒーローが生まれたかどうかは定かでないが、数多くの負傷者が出たことは確か。近くの宿舎の学生は、次なる犠牲者を待ちかまえて耳をそばだてていたという。1989年9月以降、数々の安全対策が施され、センターライン上に反射鋲が打たれたのに続いて、ハンプ(段差)も設けられた。/M:N4W2/94- 1-25/

/一の矢センター/

/52/いちのやせんたー/(Ichinoya Center)/

/筑波大学一の矢学生宿舎の共用棟のこと。共用棟の中には、別名イレブン・セブンと呼ばれる「吉池」という売店がある。1978年頃、夏の暑い時にカンビールをこっそり販売していたことは知る人ぞ知る事実である。/管理事務所/つくば市天王台2ー1/TEL:53-2990/M:N5W2/94- 1-25/

/市原稔弘/

/53/いちはらとしひろ/人名/

/県議会議員。1993.2.21呼吸不全のためつくば市の病院で逝去。62才だった。1966.8の県議補選(筑波郡)で初当選。1970年、1982年と返り咲き以来3期連続当選を果たしていた。県議会の委員長を歴任し、1993.2現在は自民党県連総務委員だった。/1993.2.23新いば/930224/アルタキ/94- 1-25/

/遺伝子組み換えイネ/

/54/いでんしくみかえいね/植物/

/植物ウィルス病の原因になっているイネ縞葉枯ウィルス(RSV)に対し抵抗力の強い品種を作ることを目的に、ウィルスの外側にあるたんぱく質をを取り出し、イネの遺伝子の中に組み込んだもの。これまで一般温室で安全性評価実験を行ってきたが、1993.4からは隔離ほ場へ移し、屋外での栽培実験を開始することになった。イネのほかにも遺伝子組み換えメロン、やペチュニアもある。/1993.2.26常陽/930403/アルタキ/94- 1-25/

/遺伝子組み換えトマト/

/55/いでんしくみかえとまと/

/遺伝子組み換えトマト技術を使って作られた、生長障害を起こすタバコモザイクウイルスに抵抗性のあるトマトのこと。農業環境技術研究所が農業生物資源研究所や農業研究センターと共同で安全性をテストしていたが、タバコモザイクウィルスに対する抵抗性が高まる以外は、生殖様式や草型などは普通のトマトとまったく変わりがないことが判明し、通常に栽培してもいいと判断された。そこで、農業環境技術研究所が1992.1.21に開放系利用の確認を農林水産大臣に申請した。/1991.1.22毎日/94- 1-25/

/稲葉勝行/

/56/いなばかつゆき/(Inaba/Katsuyuki)/

/前つくば市市長特別補佐。1927年8月22日生まれ。大穂町の町長を1972年より勤め、1988年5月よりつくば市の市長特別補佐となるが、その後辞職。つくば市吉沼在住。/94- 1-25/

/稲葉勝行(補?)/

/57/いなばかつゆき/

/1972年6月に大穂町長に就任し合併の1987.11まで連続4期務め、合併後の1988.4から1989.1まで市長特別補佐に就任した。/1992.7.2/94- 1-25/

/稲村博/

/58/いなむらひろし/INAMURA,Hiroshi/人名/

/筑波大学医療福祉相談室長。1935年徳島生まれ。東京大学医学部卒。東大精神医学教室、脳研究施設、東京医科歯科大学を経て1974年から筑波大学社会医学系精神衛生学。1993.3筑波大学医療福祉相談室長。「いのちの電話」理事、青少年健康センター理事、国際自殺予防学会日本代表のほか各種学会役員などを務める。大学開設当初から精神保健の領域を強化するよう主張してきた人。筑波大学創設期には宿舎の中に相談室を設けて4〜5人の医師やカウンセラーが交代で泊り込んだりして昼夜を問わず学生の悩みに対応した。またつくばの「いのちの電話」や研究交流センターの精神衛生のワーキンググループの発足に中心的に関わってきた人物である。/1993.11.10常陽/931226/アルタキ/94- 1-25/

/稲荷川/

/59/いなりがわ/(Inari River)/

/筑波研究学園都市関連河川の一つ。小野崎および小野川に端を発し、農林研究団地を抜けて牛久沼に至る河川であった。小野崎から土浦野田線までの1.2kmは稲荷川都市下水路として整備されている。/M:S10E1/94- 1-25/

/茨城アカデミー/

/60/いばらきあかでみー/組織名/

/江崎筑波大学学長が竹内知事に提案した組織。つくばには日本の優れた学者、研究者が結集しているので、県の科学技術振興のいろいろな活動体の上部機関として茨城アカデミーを作って将来ビジョンの検討などを行うとよいのではないかと提案の主旨を説明していた。/1992.11.27いばらき/930106/アルタキ/94- 1-25/

/茨城いのちの電話/

/61/いばらきいのちのでんわ/(Life Line Ibaraki)/

/筑波研究学園都市で自殺がたてつづけに起こった1985年頃、それを少しでも救うため、茨城いのちの電話が発足した。筑波研究学園都市にも遅ればせながら、ハートウエアーのシステムが出来たといえる。/TEL:55-1000/94- 1-25/

/茨城県/

/62/いばらきけん/(Ibaraki Prefecture)/

/筑波研究学園都市のある県。人口273万人(全国第12位)、面積6,093km2(全国第24位)、20市41町27村からなる。県都は水戸。県内は県北、県南、県西、鹿行(ろっこう)の4地域に区分される。主な観光地として袋田の滝、大洗海岸、笠間稲荷神社、筑波山、八郷フラワーパーク、霞ヶ浦などがある。なお、筑波研究学園都市は土浦とともに県南地域の中核として発展することが期待されている。知事は竹内藤男。県庁:水戸市三の丸1-5-38、TEL:0292-21-8111、/県南地方総合事務所/土浦市真鍋5-17/TEL:22-8511/94- 1-25/

/茨城県近代美術館分館つくば美術館/

/63/いばらきけんきんだいびじゅつかんぶんかんつくばびじゅつかん/(Ibaraki Modern Art Museum,Tsukuba Branch)/

/1990年6月8日開館予定のつくば文化会館アルスを構成する美術館部門の名称。水戸にある茨城県近代美術館が管理・運営を行う予定である。約600uの展示室には、可動間仕切り、6mの天井高、照明器具の昇降装置など、多様な展示に対応した設計がなされている。/つくば市吾妻2丁目/M:N1W1/94- 1-25/

/茨城県つくばインフォメーションセンター/

/64/いばらきけんつくばいんふぉめーしょんせんたー/(Ibaraki-prefecture Tsukuba Information Center)/

/・つくばインフォメーションセンター/94- 1-25/

/茨城県南常磐線輸送力増強規制同盟会/

/65/いばらきけんなんじょうばんせんゆそうりょくぞうきょうきせいどうめいかい/

/県南地域の発展に重要な役割をもつ常磐線の輸送力増強を図ることを目的に常磐線沿線の5市町の首長と議長が1992.9.2に結成した組織。@常磐線快速電車延伸の実現、A常磐線輸送体制の改善、B新駅の設置及び駅橋上化の促進などに取り組むほか、今年度の事業方針には@気象庁地磁気観測所の移転促進、A通勤快速の停車及び増発が運動方針に盛り込まれた。この組織は県南常磐線快速電車延伸対策協議会(江ヶ崎実会長)の要望に応えたもので、快速電車の延伸運動などを行政レベルで展開しようというものである。会長には助川弘之土浦市長が就任した。/94- 1-25/

/茨城県立つくば看護専門学校/

/66/いばらきけんりつかんごせんもんがっこう/(Tsukuba Nurse School of Ibaraki Prefecture)/

/・つくば看護専門学校/94- 1-25/

/茨城産業会議/

/67/いばらきさんぎょうかいぎ/組織/

/県内経済5団体のトップによる組織。地域の重要な問題について共同して調査、研究し、地域産業界に対して行動指針を提起、合意を形成していくとともに、行政に対しても積極的に提言、要望を行うため設立された。委員会や研究会を設け、常磐新線や航空自衛隊百里基地の民間共用化問題などに取り組む。常設の議長は設けない。調査協力機関として常陽産業開発センターが加わる。1993.6.23第1回総会が開かれ、「茨城常磐新線研究会」の設置を決めた。メンバー:商工会議所連合会・竹内成一、商工会連合会・常井貞利、中小企業団体中央会・根本保、経営者協会・青鹿明司、商工経済会・石川周。→茨城常磐新線研究会/事務局:茨城県商工経済会/水戸市桜川2-2-35/0292-25-8564/1993.6.24東京・日刊工業/930717/イシヤマ/94- 1-25/

/茨城住宅管理協会(追加)/

/68/いばらきじゅうたくかんりきょうかい/施設/

/新事務所が1993.4完成の予定でつくば市竹園に建設中である。敷地面積2,200u。鉄骨造3階建て、延べ床面積1,2069u。外装はシルバー系のタイル張りで、玄関左側には丸いドームがある。事務室、OA室、会議室、非常時緊急情報センター、身障者用トイレなどがある。/1993.3.24新いば/930403/アルタキ/94- 1-25/

/茨城常磐新線研究会/

/69/いばらきじょうばんしんせんけんきゅうかい/

/県内の経済5団体が設立した組織。常磐新線プロジェクトに関し、県経済界が受ける影響と、新たに生まれるビジネスチャンスの可能性などについて研究を進める。参加団体は県商工経済会、県商工会連合会、県経営者協会、県中小企業団体中央会の5つ。会長には竹内精一商工経済会長が就任する予定。/1992.11.14読売/94- 1-25/

/茨城常磐新線研究会/

/70/いばらきじょうばんしんせんけんきゅうかい/組織/

/県内の経済5団体のトップによる「茨城産業会議」に設置された研究会。大規模プロジェクトである常磐新線問題に取り組む。1993.6.23に開催された同会議第1回総会で決定された。→茨城産業会議/1993.6.24東京/930717/イシヤマ/94- 1-25/

/医療施設/

/71/いりょうしせつ/(Medical Facilities)/

/かつて、研究学園地区には医療施設が少なかった。特に困ったのは歯医者で、1977年、竹園に山添歯科医院がオープンする以前は土浦まで通っていた。その後、開業医なども増え、1985年に救急医療施設である筑波メディカルセンターがオープンするにいたって、医療施設はほぼ整ったといえる。電話帳によると現在24の医療機関がある。/94- 1-25/

/岩瀬土浦自転車道/

/72/いわせつちうらじてんしゃしゃどう/

/1987.3に廃止された筑波鉄道筑波線(土浦岩瀬間40.1km)の跡地を利用して整備されるサイクリング道路。1992.1に路線認定された。用地幅は約8m。自転車道路面の幅員が3m。駅舎跡地を利用した休憩施設を13ヶ所設ける。事業は1991年度から2000年度まで。事業費は55億円。全体で38.2haもあり、関鉄筑波商事98%、個人2%の用地取得をすすめている。1992年度からはつくば市北条地内約2.6kmで本工事に着手することになった。略称を筑波自転車車道という。/1992.6.17新いば/94- 1-25/

/インフラストラクチャー/

/73/いんふらすとらくちゃー/(Infrastructure)/

/道路、河川、上・下水道、電気・電話・ガスなどの都市基盤施設を指す。普通、「インフラ」と略して呼ぶことが多い。筑波研究学園都市ではこのインフラが快適な生活を支えている。/94- 1-25/

/インランド・デポ(追加)/

/74/いんらんど・でぽ/

/茨城県がつくば市に設置する県内初の内陸通関拠点。内陸貿易拠点(インランドデポ)ともいう)第三セクター方式で「つくば国際貨物ターミナル株式会社」が1992.5.7に設立され、7月から業務が開始される。つくば市榎戸の民間ビルに事務所を置き、一部2階建ての倉庫(約10,000u)を借りる。出資者は県、つくば市、日本通運優先航空サービス、常陽銀行、関東銀行など24社。資本金は60,000千円。会社の業務は、輸出入会社の荷物を受け入れ、横浜税関職員が常駐し、検査、重量計測など保税上の作業を行う。この結果通関手続きがこれまでの1〜2日から半日に短縮され、つくば市から直接成田空港への運送が可能になる。茨城県内外からの利用が可能なため、他県からの利用も見込まれ、取扱量も年々増えそうだ。/1992.4.23産経/94- 1-25/

/インランド・デポ/

/75/いんらんど・でぽ/

/茨城県がつくば市谷田部に設置を目指している県内初の内陸通関拠点。候補地は圏央道のI.C.から3km以内の地域。当初は政令派出所が設置される公算が大きい。これまで県南県西の企業は東京港、横浜港、TACTで通関していたが、これができると地元で通関手続きを済ませ、直接港湾や空港に商品の輸送ができるので、輸送や梱包のための時間や費用を大幅に軽減できる。また、税関から半径25km以内の地域には「保税上?」の設置が認められる。県南・県西はハイテクや外資系企業など1200以上の企業が立地していると見られ、その経済的効果は大きい。茨城県では大手通関業者の誘致、地元倉庫・運送会社に協力を要請し、「インランド・デポ」の事業主体などについて検討中。/1991.6.1日経/94- 1-25/

/インランド・デポ/

/76/いんらんどでぽ/施設/

/193.7.1につくば派出所からつくば出張所に格上げになった。これにともない関税などの収納業務を直接行えるようになった。これは通関件数が当初の月間100件程度から1,000件に急増していたため、出張所への独立が求められていたことによる。/1993.7.1毎日/930717/アルタキ/94- 1-25/

< つくばファンクラブホームページへ戻る

筑波研究学園都市大事典へ戻る